オスカー・ワイルド論 (1)

  • 2017.05.01 Monday
  • 08:30

 

 

演劇学部教授の石田伸也先生による研究論文「ワイルド流喜劇のレシピ」を掲載します。(2017年5月1日)


 

 

   ワイルド流喜劇のレシピ 

 〜オスカー・ワイルド『まじめが大切』論〜

 

               石田 伸也

 

  <目次>

 

  はじめに

1. 登場人物という素材

  材料 〜用意された登場人物

  ジャックとアルジャノンのコンビネーション

2. 喜劇的プロットの調理法

  喜劇的立場の逆転

  4幕版のグリズビー氏登場場面

  2002年版でのグリズビーの場面の復活

  注釈

3. 逆説にみちた言葉の調味料

  おわりに

  注釈

 

 


 

 

         はじめに

 

  劇作家としてのワイルド(Oscar Wilde, 1864-1900)の代表作であるばかりか、イギリスの喜劇を語るうえで欠かせない一作と言えるのが『まじめが大切』(The Importance of Being Earnest, 1895年初演、全3幕)である。ここでは、原作と映画、あるいは原作と舞台の比較という方法ではなく、この喜劇のワイルド流劇作術がどのようなものか、テキスト自体に魅力の秘密を探っていき、その劇作術が活かされている例として過去の舞台や映画の演出や演技に言及していくというスタイルで作品を論じてみたい。

 

 言及していく上演は主に2公演ある。その1つがジョージ・アレグザンダー演出、主演による1895年の初演の舞台[以下“初演”]である。この初演に関しては、当時の上演への言及や資料を集め、膨大な注釈付のテキストとしてまとめたジョセフ・ドノヒュー著『まじめが大切〜初演の舞台』(1) を参考にしている。もう1公演は、2005年の宝塚歌劇『アーネスト・イン・ラブ』(2)[以下“宝塚版”]である。1960年のオフ・ブロードウェイ・ミュージカルに基づいたこの舞台は、登場人物の感情や状況を表現するミュージカル・ナンバーを要所要所で巧みに織り交ぜながらも、台詞と物語の展開は原作にかなり忠実な公演である。宝塚ならではの華麗なダンスも楽しめ、かつ笑える場面も多いミュージカル・コメディに仕上がっている。

 

 映画の方は、新旧のイギリスでの映画化を参考にしたい。旧作は、アンソニー・アスキス監督による原作に忠実な映画化の成功例と言える。場面の前後の入れ替えのみの脚色で、若干の移動場面を除いてすべて室内か庭先の場面で見せている。原作の客間劇らしさを残しており、会話場面と俳優の演技をじっくりと楽しむことができる1952年の作品(3)[以下“1952年版”]である。

 

  

 

 これに対して、オリヴァー・パーカー監督による2002年の映画化作品(4)[以下“2002年版”]は、原作のセリフを尊重しながらも、徹底的に映画的手法で脚色、撮影された作品である。借金取りに追われて夜のロンドンを逃げ回るアルジャノンという原作にはない場面に始まり、都会の遊興の場や、ブラックネル夫人の邸宅など、会話の場も様々な場所へと広げられている。登場人物が過去を語る時には短い回想の映像が挿入されることも多く、中世の騎士がセシリーの恋愛の幻想として登場してくる映像さえある。監督の演出や編集が笑いを誘う極めて映画的な一作である。いずれの映画化も日本未公開作品だが、1952年版は海外ではDVD (5) が発売済み、2002年版は日本でも『アーネスト式プロポーズ』というタイトルでDVD (6) が発売されている。

 

  

 

こうした舞台や映画に例を確認しながら、超一流シェフに相当する劇作家ワイルドの喜劇的レシピを  1.登場人物という素材 2.喜劇的プロットの調理法 3.逆説に満ちた言葉の調味料というように分類し、『まじめが大切』の世界を考えてみたい。

 

 

    1.登場人物という素材

 

 

 材料 〜用意された登場人物

 

ジョン・ワージング(ジャック)

 ロンドンでの偽名はアーネスト。グエンドレンと結婚したい紳士。だが彼女の結婚の条件が「アーネスト」という名前自体にあるようなので、本名がジャックだと告白できない。嘘を隠そうとする行動、態度、表情が笑いを生んでいく喜劇の定番のタイプに属するキャラクターだが、まじめな役を得意とする俳優が演じると面白い。1952年版のマイケル・レッドグレーヴも、テレンス・ラティガンの戯曲の映画化『ブラウニング版』(1951)では寡黙なラテン語教師を演じていた名優だったが、まじめな中に見せる滑稽な表情や動作がかえって喜劇役者のごとく面白い。題名が示す通り、まじめが大切な役。

 

アルジャノン・モンクリーフ (アルジー)      

 ウィットと逆説に富んだ発言が得意。友人の“アーネスト”の本名がジャックだと白状させ、弟の“アーネスト”と名乗って彼の姪のセシリーに近づく。調子よく何でもできるように思っていたその余裕が後半、ジャックと同じ立場に立たされ、追い込まれるという逆転の笑いを生むキャラクターである。

 

グエンドレン・フェアファックス   

 とにかく愛しているのは、“アーネスト”。

 

セシリー・カーデュー        

 やはり愛しているのは、ただ“アーネスト”。

 

ブラックネル夫人(オーガスタおばさん) 

 グエンドレンの母で、彼女の結婚の許可が必要なジャックにとって脅威的な存在。喜劇の主人公が反社会からの逸脱を滑稽に見せるものだとすれば、夫人はヴィクトリア朝の保守的貴族社会の象徴のような存在と言える。ジャック以上にまじめな存在だけ

にその驚いた様子が笑いの対象になる場合もある。ジャックが捨て子だったと告白する際、ハンドバッグから発見されたことを聞いて、「ハンドバッグ?」と初演では驚いて立ちあがり、1952年版ではイーディス・エヴァンスが裏返った声で驚きの大きさを示している。2002年版では名優のジュディ・デンチが威厳をもってこの上流階級の夫人を演じているが、実は彼女も元々はジャックが通うような遊興な場の踊り子だったことが、夫人本人の回想の映像として映画の終盤に挿入されている。宝塚版では、「ハンドバッグは母親とはいえない」という歌が約20人の執事や女中と共に披露されていて、圧巻のステージとなっている。2010年にはブロードウェイで英国の男優、演出家であるブライアン・ベドフォードが自ら演出、夫人役まで演じ、トニー賞の主演男優賞にノミネートされた。(7)

 

ミス・プリズム(セシリーの家庭教師)

 家庭教師役としてのまじめな存在が、遊蕩にふける弟アーネストの存在を非難する役割として効果的に配置されている。だが、彼女が心を寄せる牧師のチャジュブルという名前も、元は教会の儀式などで着るための祭服を表わす最もアーネスト(まじめ)な名前である。

 

チャジュブル牧師(神学博士)

 彼が好きなのはミス・プリズム。2002年版では絵画を趣味とする役になっており、教会の自室で自分の描いた女性の肖像画を秘かに眺めている場面がある。その絵のタッチはラファエロ前派のようにロマンティックで官能的で、まじめさの表裏を見せてくれるもう一人の人物に脚色されている。

 

レイン(アルジャノンの召使い)                              

 冒頭で主人に負けないウィットを謙虚に披露。宝塚版では、登場人物を紹介したり、「カップを掲げて称えよう」と貴族礼賛の歌を歌ったりとステージ全体をまとめる重要な進行役の地位に昇格して登場している。

 

メリマン(ジャックの田舎の家の執事)

 後半の場面で人物の入退場の案内役。

 

グリズビー(司法書士)

 初演前に書かれていた4幕版に登場する人物。ジャックの田舎の屋敷に現われて、アーネスト名義の未払い金の支払いを迫る。彼の登場によって、弟ア―ネストを名乗っていたアルジャノンは収監の危機に追い込まれてしまう。アレグザンダーは、自ら演じるジャックの喜劇性を中心に考えていたこともあったのだろう。初演時に取り立ての場面は削除された。2002年版では映像として復活している。

 

 

 ジャックとアルジャノンのコンビネーション

 

 『まじめが大切』で喜劇の中心にあるのは、二重生活を楽しむジャックとアルジャノンという二人の滑稽なバトルである。この二人の戦い、前半は終始、アルジャノンが優勢な状況で劇は展開していく。アルジャノンの攻め所はジャックの嘘である。体面を気にして都会ではアーネストと名乗って遊興にふけるジャックは、その嘘を隠そうと必死にあがく。アルジャノンは常に相手の秘密を押さえた自信と余裕を見せて、ジャックを手玉に取り、皮肉とウィットにあふれた言葉で彼をからかっていく。

 

 ジャックの方はというと、ウィットをもって充分な反撃を返すことは少なく、特に第1幕では、「そんなのナンセンスだ。」(8) のような返答を繰り返すばかり。一見、まじめな性格の彼が、徹底して周囲の人物や状況に翻弄されていき、その中であがく姿が観客の笑いを誘っていくのである。

 

 ワイルドがこうした劇の導入部でジャックとアルジャノンに与えた喜劇的な役割分担は明確である。アルジャノンは仕掛ける側のいたずら者、トリックスター(trickster)に近い役割を担っており、ジャックはからかわれたり、皮肉られたりする人物を意味するバット(butt)、つまりコミック・バットの典型になっている。日本の狂言に例えれば、アルジャノンがいたずら好きな従者の太郎冠者で、ジャックが冠者を叱りつける大名になるだろう。現代演劇を代表する喜劇的コントラストの例には、アメリカの喜劇作家ニール・サイモンの代表作『おかしな二人』(The Odd Couple, 1965) がある。性格が正反対の二人の主人公を中心に笑いを生んでいくこの作品では、二人がデートするイギリス人姉妹の名前がグエンドレンとセシリーになっており、ワイルドの喜劇へのオマージュとなっている。

 

 ジャックのコミック・バットとしての役割は、彼が見せる喜劇的な驚きの表現やその慌てた態度にも明らかである。彼はアルジャノンに「このぼくが承諾しない。」(9)とグエンドレンとの結婚を反対されると、「承諾しない!」(10) と憤慨し、セシリーの名前を出されると、「セシリー! いったい何のことだ。」(11) と慌てた様子を見せる。そしてアルジャノンが真実を聞き出すための決め手となるジャックのシガレット・ケースを見せた際には、必死になって取り返そうとする。初演のアレグザンダーとアラン・エインズワース(アルジャノン)の二人のスタジオ写真も、この場面のジャックの必死な様子を伝えている。(12)

 

  

 

 グエンドレンへのプロポーズの場面でも、(ひどく驚いて)(13)(ジャックはびっくりして彼女を見る)(14) といった笑いを誘う驚いた様子のト書きが見られるが、最もおかしいのは、ひざまずいてプロポーズの言葉を述べている最中にブラックネル夫人が戻ってきた時である。「ワージングさん!お立ちなさい。今にものっかりそうな恰好をして。不作法にもほどがあります!」(15) と夫人に注意され、ジャックは立ち上がろうとするが、(ジャックが立ちあがろうとするのを制して)(16) とト書きにあるように、グエンドレンにそのままの姿勢でいるように押さえられてしまう。アレグザンダーの演出でも、この場面はかなり滑稽な一場となっていたようである。ジャックを押さえ続けるグエンドレンの動作は、同時代の劇評の中でも言及されており、前述の初演研究資料で紹介されている。(17) また同著には、1909年の再演における同場面の写真も掲載されている。(18)

 

 1952年版の映画でも、原作のト書きよりも早い時点でジャックはシガレット・ケースを取り返そうと何度か手を伸ばすが、アルジャノンは瞬時にケースを持った手を動かして彼をかわしてしまう。ジャックを演じるマイケル・レッドグレーブの表情はまじめで不機嫌だが、アルジャノン役のマイケル・デニソンは終始微笑みを浮かべ、相手をとらえた余裕の表情で場面を演じており、まさにトリックスターの表情である。同様に別の場面では、ジャックがアルジャノンの食べているサンドイッチの残り一切れをもらおうと皿に手を伸ばしたり、その皿を手にしていたアルジャノンが即座に身をかわしたりしているが、これらの動きは元のト書きにはなく、こうした細かいコミカルな演技が原作の持つ二人の喜劇的コントラストを効果的に増幅させている。

 

 2002年版では、ジャック役を演じるのはコリン・ファース。BBCのテレビ映画『高慢と偏見』(1995)の高慢な様子を見せる貴族ダーシーや『英国王のスピーチ』(2010)の吃音症に悩むジョージ六世など、まじめな面持ちの役どころは彼の得意とするところである。片やアルジー(アルジャノン)役は、ワイルドの喜劇『理想の夫』の映画化(1999、邦題『理想の結婚』)でも軽妙でダンディな紳士を演じていたルパート・エヴェレット。このキャスティング自体がすでに喜劇的に対照的な二人を生み出していると言えるが、借金の取り立て人に追われて逃げ惑うという原作にはない場面を前半の数場面に追加してしまったため、アルジーに落ち着きのなさとすでに彼の方も最初から追い込まれている雰囲気が出てしまっているところがある。前半の喜劇的コントラストという観点から見るとマイナス点と言えるだろう。

 

 アルジャノンがトリックスターとしてさらに成功を見せるのは、第2幕で弟のアーネストとして登場する時だが、2002年版はアルジーにさらに喜劇的な味付けを加えている。アルジーは、ロンドンで秘かに手に入れたジャックのE.W. (=Ernest Worthing)と刺繍されたハンカチをこれ見よがしに出して鼻をかむ。弟の死を装って喪服で登場という作戦を意味なきものにさせられていたジャックは、当然、怒り心頭である。アーネストになるためにハンカチまで盗み出していたなんて!という怒りでアルジーの首に掴みかかるジャックだが、屋敷の庭の遠方からチャジュブル牧師、プリズム、セシリーの三人に見られているのに気づき、急遽、もみ合う二人は再会を喜び合う仲の良い兄弟に早変わりする。エヴェレット扮するアルジーは、バンベリストとしてジャックの鼻を明かしてやった表情を見せて、得意満面で部屋を出ていくのである。

 

 

     2.喜劇的プロットの調理法

 

 

 喜劇的立場の逆転

 

 第2幕においても、アルジャノンは喪服を着たジャックを「馬鹿に見える」「グロテスクだよ、そのかっこうは。」(19) と言ってまでからかい、ジャックに非難されても何食わぬ顔でマフィンを食べ続ける。しかし2幕では、アルジャノンがセシリーに出会うことによって、ジャックとの喜劇的コントラストにも変化が起きている。ジャックと同様にアーネストという名前が必要になった彼は、第1幕のジャックのような喜劇的な驚きを見せ始めるのである。出会ったばかりのセシリーに3ヵ月も前から婚約していると言われ、「3ヵ月も前から?」(20) と驚き、セシリーが彼から手紙をもらっていたと聞くと、「しかしセシリーさん、ぼくは一度も手紙をさしあげたおぼえがないんですけど。」(21) と面喰ってしまう。アーネストという虚構の人物として田舎に現われたはずの彼だったが、セシリーの語る虚構の世界には太刀打ちできない。ついに“アーネスト”という名前への夢を聞かされるに至っては、第1幕のジャックのようにコミック・バットも同然である。

 

 2002年版では、セシリーとアルジャノンの二人が、中世ロマンス風衣装をまとって木立ちの中で戯れる幻想的な恋の映像となる場面がある。ところがセシリーが“アーネスト”への名前へのこだわりを口にした途端、アルジャノンの驚いて目を見開いた顔のアップと共に、場面はなさけない現実へと戻ってしまう。宝塚版では、舞台の前半でジャックとグエンドレンが歌い出すラブソングをバカにしていたアルジャノンだったが、セシリーとの場面では同じ歌の出だしの演奏が流れ始めてしまう。すると彼は戸惑いながらも「子供のように黙るだけ」とその歌を歌わざるを得ないのである。続く会話でも「アルジャノンは嫌!」と自分の本名を否定されると、夕暮れの暗い雰囲気の照明が一瞬にして明るくなり、彼は洗礼を頼むために教会へ行かねばと慌ててその場を退場する始末である。

 

 

 4幕版のグリズビー氏登場場面

 

 当初ワイルドは、こうした戯曲の中盤に、アルジャノンとジャックの喜劇的立場を逆転させる別の場面も用意していた。アレグザンダーの注文で書き換えられる以前の4幕版では、喪服を着たジャックがアルジャノンと顔を合わせた後に、グリズビーという司法書士が登場する。アーネストとしてジャックが未払いでいたサヴォイ・ホテルの代金の取り立てに来たのである。すでにアルジャノンはセシリーに自分がアーネストだと名乗ってしまった手前、その結構な額の請求をその場で支払わないとならない。未払いの場合は監獄行きとまで言われ、アルジャノン最大のピンチとなってしまう。ここで驚きの反応を次々見せるのはアルジャノンの方である。喜劇的逆転を味わうには、削除されたままでは残念な場面なので、コリンズ版の全集に収録されている4幕版を元にした上演台本『大切なのはアーネスト』(広川治訳)(22)を引用させていただき、この場面を改めて味わってみたい。ジャックが執事のメリマンから、アルジャノンの荷物があると聞いて驚き、アルジャノンが「残念だが今回は一週間しかいられないんだよ。」(23) と皮肉っぽく言った後に続く場面となっている。

 

 メリマン (アルジャノンに) 失礼いたします。ご年輩の紳士のお方がお目にかかりたいと申しております。駅から馬車でご到着なさっております。(皿にのせて名刺を渡す)

 アルジャノン お目にかかりたい?

 メリマン はい。

 アルジャノン (名刺を読んで) パーカー・アンド・グリズビー司法書士共同事務所。そんな人たち聞いたこともないね。誰なんだい?

 ジャック (カードを手にして) パーカー・アンド・グリズビー。さあ誰だろうね。アーネスト、君の友人のバンベリー君の件で来たんじゃないかな。たぶんバンベリー君は遺書を残して、君にその実行人になってほしいんだろう。(メリマンに)その方をすぐに中へ。

 メリマン かしこまりました。

 

   メリマン退場。

 

 ジャック アーネスト、これで君が先週話していた通りになるといいな。たまっていた君の請求書の件、話をつけてやったじゃないか。

 アルジャノン ぼくは何の借金もしていないぞ。君の心が広いおかげで、1ペニーも借りないで済んでいる。ネクタイだけは別だがね。

 ジャック ああ、そうかい。そいつはよかったな。

 

   メリマン登場。

 

 メリマン: グリズビー様です。

 

   メリマン退場。グリズビー登場。

 

 グリズビー (チャジュブル牧師に)アーネスト・ワージング様ですか?

 ミス・プリズム こちらがアーネスト・ワージングさんよ。

 グリズビー アーネスト・ワージング様?

 アルジャノン そうですが。

 グリズビー ご住所はオルバニー、B4?

 アルジャノン ああ、僕の住所だ。

 グリズビー 申し上げにくいのですが、20日間の拘禁の令状が出ております。訴状人はサヴォイ・ホテル有限会社。762ポンド、14シリング、2ペニーの未払いによるものです。

 アルジャノン この私に?

 グリズビー はい、さようで。

 アルジャノン そんなバカな! サヴォイでは自腹で食事はしない。自分の行きつけはウィリーズ。ずっと高級な店だ。サヴォイには1ペニーの借金もない。

 グリズビー 令状には、5月27日にオルバニーであなた様がお食事をなされた旨の記録がございます。そして7月5日には債務不履行の判決が下されております。それから15通ものお手紙でご連絡させていただいておりますが、一度もお返事をいただいておりません。私どものご依頼人様のためには、ご本人様のご収監という手続きをとらざるを得なかったのです。

 アルジャノン ご収監だって! ご収監ってどういうことだ。逃亡などするつもりはこれっぽっちもないぞ。ここに1週間いる予定なんだから。兄といっしょだ。大あわてでロンドンに逃亡なんて思うのは考えすぎだ。

 グリズビー 私自身は司法書士にすぎません。乱暴なマネは一切いたしませんが、債務不履行者を逮捕する裁判所の方が馬車の外でお待ちです。こうした問題に関してはご経験豊かな方ですので、いつもお仕事をお願いしております。ですが当然、お代金をお支払いいただけるものと思いますが。

 アルジャノン お支払い? いったいこの私がどうやって払うっていうんだ? この私が金を持ち歩いていると思ってるのか。まったく何て愚かな考え方をするんだ! 紳士は余計な金など持ち歩かないものなんだ。

 グリズビー 私どもの経験から申し上げますと、大抵は親類縁者の方にお支払いいただけるものかと。

 アルジャノン 兄さん、やっぱり君がこの支払いを何とかしてくれないと困る。

 ジャック グリズビーさん、出費の詳細を見せていただけますか。(ぶ厚い書類のページをめくる)762ポンド、14シリング、2ペニー。10月からだ。こんなにひどい散財はみたことがない。(チャジュブル牧師に渡す)

 ミス・プリズム 762ポンドもレストランで! こんなにたくさん、しかもこんなに何度も食べる若い方に善良なところなど期待できませんわ。

 チャジュブル牧師 詩人のワーズワースが言った「暮らしは低く、思いは高く」はどこへ行ってしまったんでしょうか。

 ジャック チャジュブル牧師、弟のこのひどい借金を私が払うべきだとお考えでしょうか。

 チャジュブル牧師 どう考えてもそうは思えません。そんなことをすれば、弟さんの金遣いが荒くなるばかりです。

 ミス・プリズム 弟さんが自ら蒔いた種です。監禁された方が弟さんのためには良いでしょう。20日では短すぎるぐらいです。

 ジャック まったく同意見です。

 アルジャノン おい、何、ふざけたこと言ってるんだ! 君の借金だってわかってるくせに。

 ジャック 私のだって?

 アルジャノン ああ。とぼけるなよ。

 チャジュブル牧師 ワージングさん、ふざけるにも程があります。

 ミス・プリズム まったく厚かましい方ね。思っていた通りだわ。

 セシリー ひどい仕打ちね。思ってもみなかったわ。

 ジャック 彼の言ったことは忘れましょう。これが弟のやり方なんです。今度はオルバニーB4に住むアーネスト・ワージングではないと言いだすんじゃないだろうね。だとすれば、僕の弟でもないのかな。そうじゃないのか?

 アルジャノン おい! そんなこと言うものか。ばかげてるだろう。もちろん僕は兄さんの弟だ。だから兄さんがこの支払いを払うってことなんだよ。

 ジャック 正直言って、そんなことするつもりは、これっぽっちもありはしない。この教区の尊敬すべき司祭でおられるチャジュブル牧師、それにいろいろとご教示いただいて心から信頼しているミス・プリズム。お二方とも監禁が君のために良いというご意見だ。私も賛成する。

 グリズビー ご家族が楽しくお集まりのところ、水をさすようで誠に申し訳ありませんが、もうあまり時間がありません。ご収監手続きのためにホロウェイに4時までに到着する必要があります。あそこの規則は厳重です。

 アルジャノン ホロウェイだって!

 グリズビー こういった拘留は、いつもホロウェイでございます。

 アルジャノン ウエストエンドのディナーがもとでロンドン郊外に投獄だなんて、絶対にあり得ない。

 グリズビー 請求書はランチとなっております。ディナーではございません。

 アルジャノン どっちだっていいだろ。とにかくロンドン郊外の刑務所行きなんてごめんだ。

 グリズビー 監獄の周辺は中流階級のお宅が多いエリアですが、監獄自体はモダンな作りで、換気もよく、一日の決まった時間に運動できるほどの余裕のあるスケジュールが組まれております。医療サービスも充実しておりまして、時間外診療も可能です。

 アルジャノン 運動だって! 勘弁してくれ! 紳士は運動などしないものだ。君は紳士がどんなものかわかってないようだな。

 グリズビー あまりに多くの紳士の方々にお会いしすぎて、わからなくなってしまったとでもいいましょうか。驚くほど様々なタイプの紳士の方がいらっしゃいまして。これも教育のなすわざでございますね。ではよろしければ、ご足労願えますでしょうか。

 アルジャノン (うったえるように)ジャック!

 ミス・プリズム しっかりなさい、ワージングさん。

 チャジュブル牧師 こういう場では、いかなる弱そうな素ぶりも場違いというものです。自分に嘘をついていることになりますよ。

 アルジャノン 僕はしっかりしてるし、弱そうな素ぶりも見せていないし、どんな嘘もついてない。

 セシリー ジャックおじ様! おじ様は私の財産を管理なさっているのでしょう。この請求書を私に払わせて下さい。おじ様の弟さんが刑務所に入るなんていやよ。

 ジャック セシリー、君に払わせるわけにはいかないよ。そんなことありえない。

 セシリー じゃあ、おじ様が払ってちょうだい。きっと後悔なさるわよ、ご自分の弟さんが刑務所にいるなんて思うと。もちろん私だって彼には本当にがっかりしているわ。

 ジャック これからは彼に話しかけるのは禁止だぞ。いいか、セシリー。

 セシリー もちろん話しかけないわ。でも彼の方から話しかけてきたら仕方がないわね。お返事しないんじゃ失礼ですもの。

 ジャック では、彼の方からは話しかけないように私から注意しておこう。この家では誰にも話しかけないように言っておく。あいつには出てってもらう。グリズビーさん。

 グリズビー はい。

 ジャック この請求書は弟に代わって私が支払いましょう。でも弟の請求書を払うのもこれが最後です。おいくらですか?

 グリズビー 762ポンド、14シリング、2ペニーでございます。ああ、それにご依頼人様のために使わせていただいた馬車代が59ペンス必要かと存じます。

 ジャック わかりました。

 ミス・プリズム このようにお心が広いのも、まったく考えものですわ。

 チャジュブル牧師 (手で体を指し示しながら)  ミス・プリズム、知恵は頭のためだけにあらず、心のためにもありきですぞ。

 ジャック パーカー・アンド・グリズビーの事務所にお支払いしてもよろしいのですね?

 グリズビー はい。小切手はどうか御遠慮下さい。ありがとうございます。(チャジュブル牧師に)お元気で。(チャジュブル牧師はそっけなくおじぎをする)またお会いできる日を楽しみにしております。

 アルジャノン 楽しみになどするものか。紳士が社交の場に加えたいと思っている人物がどんなものか、あなたはわかっていないようだ。紳士というものは、ロンドン郊外に人を収監しようとする司法書士なんかとはお近づきになりたくないものなんだ。

 グリズビー おっしゃる通りでございます。

 アルジャノン ところでグリズビー君。馬車で駅に戻ろうとしているんじゃないだろうね。あれは僕が呼んだ馬車だ。君は駅まで歩いていかないと。まあ、それもいいじゃないか。司法書士はもっと歩かないと。司法書士のみなさんは運動不足だからね。大抵息がつまるようなオフィスに一日中座りっきりで仕事などはしていない。

 ジャック 馬車をお使い下さい、グリズビーさん。

 グリズビー ありがとうございます。

 

    グリズビー退場

 

 

 2002年版でのグリズビーの場面の復活

 

 2002年版の映画では、この場面がアルジーの到着翌日の設定に変えられ、セリフが大幅にカットされた短い場面として再現されている。(24) グリズビーという名前は名乗られず、執事は単に二人の来客があることをアルジーに告げる。一人は自動車付近に待機しており、アルジーの収監日数は20日間でなく6か月に変えられている。待機していた男は途中から彼の腕を捕らえて自動車の方へ連れていこうとし、危機一髪のところでジャックが支払いを申し出る。だが支払いには条件がつけられている。友人のバンベリーの元へすぐ帰るという条件である。ずいぶん彼の病状は悪化しているのだろうという皮肉までジャックはつけ加える。ここで鼻を明かすのはジャックの方で、喜劇的立場の逆転として効果的な追加場面となっている。続く場面はアルジーが田舎の地を去ろうとしている姿で、この後にセシリーとの日記に関する場面が続いている。

 

 原作の4幕版では、このグリズビーとの場面の後に食事についてのやり取りなどがセシリーらを交えて少しあった後、ジャックの「お得意のバンベリー主義とやらも、今度ばかりは大成功とはいかなかったようだな。」(25) という現行の3幕版にもあるセリフとなる。さらに4幕版には、自分のバンベリー主義についてのジャックの言葉として「僕の方もバンベリー主義を実践するには、いい日とは言えなかったがね。」(26) というセリフがある。それに対してアルジャノンは、「バンベリー主義の実践にも浮き沈みというものがあるのさ。何にでも浮き沈みはあるじゃないか。」(27) とバンベリストとして先輩ぶった発言をしていて、危機を通りすぎたトリックスターとして再び余裕を見せている。こうした二人の「浮き沈み」が劇の後半、喜劇的な逆転に次ぐ逆転という形で展開していくのがこの劇のプロットの妙味である。

 

 現代日本を代表する喜劇作家の一人に『笑の大学』『オケピ!』などで有名な三谷幸喜がいるが、彼の名前が三つの谷を越えて、幸せと喜びに至るという、まるで喜劇を地でいく名前であるように、主人公が喜劇でハッピー・エンドに至るまでには、谷を下っては登り、また下っては登り、さらに下っては登りと、少なくとも三回程度は「浮き沈み」を繰り返した方が面白くなる。料理の素材をフライパンの上で焼いた後に浮かせて裏返して、さらに裏返して熱を通してと、こうした焼き方によってさらにおいしい一皿に仕上がっていくのに似ているかもしれない。

 

 『まじめが大切』でも、ジャックとアルジャノンは、アーネストと名乗っていたことからそれぞれ結婚の障害をかかえてしまい、何とか洗礼でアーネストとしてごまかし続けようとしていたが、グエンドレンとセシリーに名前が嘘であるとばれてしまい、それでも女性陣に何とか許してもらえた途端、今度はブラックネル夫人の来訪で最後の危機を迎えてしまう。このようにワイルドは、喜劇という演劇形式の器に、ジャックとアルジャノンという二人のダンディーのコンビネーションを見事に調理して盛りつけているのである。

 

 3.逆説にみちた言葉の調味料へ

 

 

注  釈 

 (1)  Joseph Donohue with Ruth Berggren (ed.), Oscar Wilde’s The Importance of Being Earnest, A Reconstructive Critical Edition of the Text of the First Production St. James’s Theatre, London, 1895, Annotated and Illustrated from Contemporary Sources (Colin Smythe, 1995).

 (2)  『アーネスト・イン・ラブ』(宝塚月組公演、梅田芸術劇場、200579日−25日、日本語脚本・歌詞、演出=木村信司、翻訳=青鹿宏二) <主な配役: ジャック=瀬奈じゅん、グウエンドレン=彩乃かなみ、アルジャノン=霧矢大夢、セシリイ=城咲あい、ブラックネル=出雲綾、レイン=光樹すばる、チャジュブル=越乃リュウ、プリズム=瀧川末子> 20079月にWOWOW3(193ch)で放送(宝塚への招待 2005年月組公演「Ernest in Love」、97() 10:20-12:35)。なお、宝塚花組(ジャック=樹里咲穂)200591日−23日に日生劇場で公演を行っている。基となったオフ・ブロードウェイ公演は、Ernest in Love, 1960, book and lyrics by Anne Croswell, music by Lee Pockriss, directed by Harold Stone, with Louis Edmonds (Algernon), John Irving (Jack), Leila Martin (Gwendolen), Gerrianne Raphael (Cecily), Sara Seegar (Lady Bracknell), opened on May 4, 1960, at the Gramercy Arts Theatre (103 performances).

 (3)  The Importance of Being Earnest (UK, 1952), directed by Anthony Asquith, with Michael Redgrave (Jack), Michael Denison (Algernon), Edith Evans (Lady Bracknell), Joan Greenwood (Gwendolen), Dorothy Tutin (Cecily), Margaret Rutherford (Prism) and Miles Malleson (Chasuble).

 (4)  The Importance of Being Earnest (UK, 2002), directed by Oliver Parker, with Colin Firth (Jack), Rupert Everett (Algernon), Frances O’Connor (Gwendolen), Reese Witherspoon (Cecily), Judi Dench (Lady Bracknell), Tom Wilkinson (Chasuble), Anna Massey (Prism), and Edward Fox

(Lane).(邦題『アーネスト式プロポーズ』)

 (5)  The Importance of Being Earnest (The Criterion Collection, 2002) [Region 1(US and Canada)] ほか数種のDVDが海外で発売されている。

 (6)  DVD『アーネスト式プロポーズ』(アルバトロス、2008)

 (7)  The Importance of Being Earnest (2009) directed by Brian Bedford (December 17, 2010 – June 26, 2011 [189 performances]), performed at the American Airlines Theatre, with Brian Bedford (Lady Bracknell, David Furr (Jack), Santino Fontana (Algernon), Sara Topham (Gwendolen), and Charlotte Parry (Cecily Cardew).

 (8)  『まじめが大切』からの引用は、荒井良雄編『ワイルド喜劇全集』(新樹社、1976) 所収の荒井良雄訳、オスカー・ワイルド『真面目が大切』による。p. 329.

 (9)  Ibid, p. 329.

 (10)  Ibid, p. 330.

 (11)  Ibid, p. 330.

 (12)  Joseph Donohue (ed.), p. 118.

 (13)  ワイルド『真面目が大切』、p. 341.

 (14)  Ibid, p. 342.

 (15)  Ibid, p. 343.

 (16)  Ibid, p. 344.

 (17)  Joseph Donohue (ed.), p. 153.

 (18)  Ibid, p. 153.      

 (19)  ワイルド『真面目が大切』、p. 371.

 (20)  Ibid, p. 374.

 (21)  Ibid, p. 375.

 (22)  J. B. Foreman (ed.), Complete Works of Oscar Wilde (Collins, 1966). グリズビー登場の場面はp. 349352. (広川治先生の上演台本『大切なのはアーネスト』は全編オンライン映画演劇大学に掲載の予定。)

 (23)  Ibid, p. 370.

 (24)  2002年版では、監督のオリバー・パーカー自身が脚本を担当している。パーカー監督は、『理想の夫』(An Ideal Husband, 1999), の監督のほか、小説『ドリアン・グレイの肖像』の映画化『ドリアン・グレイ』(Dorian Gray, 2009)も監督しており、ワイルドの世界に縁の深い監督である。舞台やテレビでの俳優経験もあるため、『理想の夫』の映画化の際は、バンベリーという役を作りだし、一瞬だが自ら演じているその姿をスクリーンで披露している。それはルパート・エヴェレット扮するゴーリング卿がクラブでカードをしているという原作にはない場面 ―― 監督は共にカードをしている遊び仲間の一人としてゴーリング卿の隣に座っているのだが、「おい、バンベリー。結婚するなんて裏切りだよ。」と別のカード仲間に言われ、「そんなこと言っていないよ。」と言って独身仲間からの非難をかわしている。ワイルド通のパーカー監督らしい遊び心あふれる楽屋落ち的場面である。

 (25)  Ibid, p. 371.

 (26)  J. B. Foreman (ed.), p.353.

 (27)  Ibid, p. 353.

 

 


以下、3.逆説にみちた言葉の調味料/おわりに/注釈へと続きます。

 

 

 

オスカー・ワイルド論 (2)

  • 2017.05.01 Monday
  • 21:30

 

 

演劇学部教授の石田伸也先生による研究論文「ワイルド流喜劇のレシピ」の第3章を掲載します。(2017年5月1日)


 

 

    3.逆説にみちた言葉の調味料

 

 作品の仕上げの際に重要なのが、ワイルドの場合、登場人物の話す台詞にまぶしたウィットと逆説にみちた言葉の調味料である。『まじめが大切』では、アルジャノンだけではなく、上はブラックネル夫人から下は召使いのレインに至るまで、軽妙な会話と観客の笑いを誘う発言に満ちており、独特の味わいを劇に生みだしている。特に人生、社会、生活に関する登場人物の皮肉っぽい持論の形でワイルドの逆説と機智が披露されていて、中には現代にも通用する警句になり得るものさえある。そうした言葉の主なものを場面順に整理すると以下のようになる。

 

 まずは第1幕冒頭に登場する召使いのレイン。独身の世帯では、召使いがシャンパンを飲んでしまうのはなぜかとアルジャノンに聞かれて、結婚生活に対する持論を次のように述べている。

 

 私の観察によりますと、奥様のいらっしゃる御家庭で、上等のお酒が出ることはめったにございません。(28)

 

アルジャノンは、ジャックを第1幕で問い詰める際に、プロポーズ、ロマンス、現代人の教養、そして真相、結婚生活について語っている。

 

 プロポーズはビジネスだよ。(29)

 

 ロマンスの本質は半信半疑にあるんだ。(30)

 

 現代人の教養の半分以上は、読むべきでないものに依存している。(31)


 真相ってものは、めったに純粋でもなければ、決して単純でもない。もしそうなら、現代生活はひどく退屈だろうし、現代文学は絶対に不可能だよ。(32)

 

 結婚生活では三人だと仲よくいくが、二人だとだめなんだ。(33)

 

比較的、こういった逆説的な台詞が少ないグエンドレンだが、会釈の仕方が完璧なまでにスマートだとジャックに誉められて、完璧というものを否定して言う台詞がある。

 

 まあ、それじゃ困るわ。進歩の余地がありませんもの。あたしいろんな方面で進歩したいのよ。(34)

 

ブラックネル夫人は、最初の登場の際に女性に関して皮肉な言葉をもらし、ジャックへの質問場面では、結婚しようとする男性や土地に関する持論を述べている。

 

 女って主人をなくすとああも変るものかねえ。まったく二十年も若返って見えたよ。(35)


 結婚しようとする男性は、何でも知っているか、まるで何も知らないかの、どちらかでないといけないかと思うのですけど。(36)


 土地なんてものは、生きている間は税金を取られる、死ねば死んだでまた税金を取られるんですから、儲けにも楽しみにもなりませんよ。土地があれば格はつくだろうけれど、格を保つだけのあがりはありゃしません。(37)

 

第1幕の最後では、グエンドレンとの結婚を許されず、意気消沈しているジャックに対して、再びアルジャノンが次から次へと逆説の言葉を聞かせている。話題はブラックネル夫人の存在に関連して、親類、母親についてである。さらに話題は、人生の先輩ぶった言い方で、女のあしらい方、食事の後に何をするかといったことへと及んでいる。

 

 親類なんてものは、まったく退屈な連中の集りで、人生いかに生きるべきかを全然知っちゃいないし、あの世へ行く潮時も心得ていないんだから。(38)

 

 女はみんな母親に似る。それが女の悲劇だ。男は母親に似ない。それが男の悲劇だ。(39)

 

 女のあしらい方はただ一つ、きれいだったら口説く。不器量だったら他の女を口説く。(40)

 

 何もしないのは、ひどい重労働だよ。しかし別にこれといった目的がない場合は、重労働も仕方がないけどね。(41)

 

 第2幕では、仕事の約束をすっぽかしてセシリーのいる田舎に留まりたいというアルジャノンに対してセシリーが「もちろん私だって、人生の美しいものを楽しむためには、約束をすっぽかすことがどれだけ大切か、わかってますわ。」(42)という言い方をしており、婚約解消という話題が出た際にも、「少なくとも一回ぐらい解消しないようでは、ほんとに真剣な婚約とはいえないわ。」(43) と独自の逆説を披露している。

 

 婚約者をめぐってグエンドレンとにらみ合う場では、セシリーが「田舎に花があるのはあたりまえだわ。ロンドンの人ごみがあたりまえのように。」(44) と皮肉っぽい攻撃の言葉を吐いているが、こうした例からもわかるように、ワイルドは登場人物に機智と逆説の言葉を言わせて、単にその内容で観客の笑いを引き起こそうとしているだけでなく、登場人物の優位と余裕、あるいは存在感を誇示するために用いている場合も多い。それはアルジャノンがジャックに見せる余裕であったり、ブラックネル夫人のジャックに対する脅威にも近い存在であったり、セシリーが自分の世界の絶対性をアルジャノンやグエンドレンに対して語る時などに言葉の調味料としてよく効いていると言える。

 

 第3幕で最終的に優位な立場と存在感を示すのは、再登場してジャックの結婚の前に改めて立ちはだかるブラックネル夫人である。夫人は登場するやいなや、グエンドレンにジャックから離れて座るように指示し、「さっさと座るんです。少しでもぐずぐずするのは、若い人の場合は脳みそが腐っているしるし、老人の場合は体力が衰えているしるしです。」(45) と言い放ち、アルジャノンとセシリーの結婚を承諾する際には、「婚約期間の長いのには反対だね。長いと結婚前にお互いの性格を見抜くチャンスを与えることになるからね。」(46) と意見する。セシリーに年齢を尋ねる際にも、「女は自分の年齢を正確に計算しちゃいけません。正確にいうとかえって計算があるようにとられますからね。」(47) と自説へのこだわりを決して控えることはない。こうした機智や逆説の台詞は、ワイルドの先行の三作の喜劇にも見られ、特に『ウィンダミア夫人の扇』(1892)のダーリントン卿、『つまらない女』(1893)のイリングワース卿、『理想の夫』(1895)のゴーリング卿などが得意とするところである。例えばゴーリング卿が執事のフィプスの前で次々と持論を披露していく場面がある。

 

 ゴーリング (今迄さしていた胸飾りの花を抜き取り)いいか、フィプス、流行というものは、自分自身が身につけているもの、流行おくれとは、他人が身につけているものなんだ。

 フィプス おっしゃる通りでございます。

 ゴーリング 俗悪というのは、他人の流儀を、只、真似ること。

 フィプス おっしゃる通りでございます。

 ゴーリング (新しい花を胸飾りにつける)そして、虚偽とは、他人の真実を口にすること。

 フィプス おっしゃる通りでございます。

 ゴーリング 全く、他人というのは、耐えがたい、実際、付き合うに値するのは、自分だけだ。

 フィプス おっしゃる通りでございます。

 ゴーリング 即ち、自分を愛することが、一生長続きするロマンスの始まりなんだ。

 フィプス おっしゃる通りでございます。(48)

 

 ワイルドが自画像を投影させていたと言われるこうしたダンディな紳士のキャラクターは、『まじめが大切』では明らかにアルジャノンに引き継がれている。『理想の夫』の映画化のゴーリング卿と2002年版のアルジャノンを演じているのが、同じルパート・エヴェレットであるというのも自然な配役だろう。しかし、前三作は喜劇とはいえ、深刻な状況設定やメロドラマ的要素が強い“まじめな”劇であった。ワイルドの言葉の調味料は、『まじめが大切』という純粋な喜劇作品を得て初めて、質的にも量的にも本格的に生かされ、警句であるばかりでなく、劇中で機能する台詞になったと言える。

 

 こうして喜劇的対照を軸とした登場人物で構成されているこの劇の素材は、逆転に次ぐ逆転というプロットの上で喜劇的に調理され、笑いと喜劇的効果を強める言葉の調味料で観客を満足させるものに仕上がった。ワイルド流レシピによる極上の喜劇の完成である。

 

         おわりに

 

 アルジャノンの監獄行きの危機は、皮肉にも作者ワイルド自身のその後の実人生の予兆にもなっていた。ワイルドは『まじめが大切』の開幕(1895年2月14日)からわずか2か月後に同性愛の行為の罪で逮捕となる。すぐに裁判となり、同年5月20日には有罪として「重労働を含む2年の懲役」の判決を申し渡される。その際にまず収監されたのが、4幕版にも言及のあるホロウェイ監獄であった。出獄後はパリに拠点を移すが、数年後に病気が原因で46歳という若さで命を落としてしまう。初演以降の3幕版にもある、アーネストがパリに埋葬されたことにするというジャックの台詞も含めて、ワイルドの人生は皮肉にも自分の芸術を模倣してしまったのである。

 

 ワイルドは二人の青年の対話形式をとった芸術論集『虚言の衰退』(1889)の中で、次のような言葉を借りて、芸術の優位を訴えていた。

 

 芸術が人生を模倣するよりもはるかに人生が芸術を模倣する。(49)

 

 『まじめが大切』初演時やその後のワイルドの人生を描いた映画には、1960年作の日本未公開作イギリス映画が2作品(50) あるほか、日本公開作にはブライアン・ギルバート監督の『オスカー・ワイルド』(Wilde, 1997) がある。イギリスのテレビ番組の司会なども務める俳優スティーブン・フライがワイルドを演じ、撮影当時20代前半だったジュード・ロウが同性愛の相手アルフレッド・ダグラスを演じて注目を集めた。

 

 ワイルドが同性愛の罪に問われることなく、さらに長く生きていたら、より多くの喜劇の秀作を発表できたかもしれない。他にも、童話集『幸福の王子』(1888)、小説『ドリアン・グレイの肖像』(1890)、悲劇『サロメ』(1891)などでその多才ぶりを19世紀末に示して文学史上に名を留めている才人である。他の文学ジャンルでも、さらに多くの名作を残し得たであろう。

  

 だが実人生の不幸以上にワイルドの芸術は、人生よりも優位なものとして我々の心に訴えかけてくる。『まじめが大切』がイギリスの演劇史上に残る喜劇として繰り返し世界で上演され、映画やミュージカルにまで脚色、改変されて、多くの人に愛され続けているという事実がそのことを証明しているのである。

 

 

注  釈

 (28)  ワイルド『真面目が大切』、p. 326.

 (29)  Ibid, p. 328.

 (30)  Ibid, p. 328.

 (31)  Ibid, p. 330.

 (32)  Ibid, p. 334.

 (33)  Ibid, p. 336.

 (34)  Ibid, p. 337.

 (35)  Ibid, p. 337.

 (36)  Ibid, p. 345.

 (37)  Ibid, p. 346.

 (38)  Ibid, p. 350.

 (39)  Ibid, p. 350.

 (40)  Ibid, p. 351.

 (41)  Ibid, p. 353.

 (42)  Ibid, p. 361.

 (43)  Ibid, p. 376.

 (44)  Ibid, p. 383.

 (45)  Ibid, p. 395.

 (46)  Ibid, p. 400.

 (47)  Ibid, p. 401.

 (48)  オスカー・ワイルド『理想の夫』(島川聖一郎訳、『ワイルド喜劇全集』新樹社、1976所収)、p. 268.

 (49)  J. B. Foreman (ed.), p. 992より摂訳。

 (50)  Oscar Wilde (directed by Gregory Ratoff, with Robert Morley)という白黒作品とThe Trials of Oscar Wilde (directed by Ken Hughes, with Peter Finch)というカラー作品の2作品である。この2作品については、富士川義之、玉井臓河内恵子(編著)『オスカー・ワイルドの世界』(開文社出版、2013) 所収の論文「映画 ―― 模倣としての作品・人生の映画化」(広川治)を参照。

 

 


 

 

 

 

 

テレンス・ラティガン『深く青い海』

  • 2017.06.25 Sunday
  • 21:00

 

 

「テレンス・ラティガンを観る」の講座として『深い青い海』(The Deep Blue Sea)を紹介します。いくつかの舞台や映画化を紹介しながら、重要な場面や台詞を解説します。(2017年6月25日)


 

 

       イギリス演劇学科講座

   テレンス・ラティガンを観る

 

      講師: 広川 治

     (オンライン映画演劇大学代表)

 

 

    

 

【Terence Rattigan  1911-1977】

1930年代から50年にかけて大ヒット作を数多く発表し人気を博したイギリスの劇作家。外交官の父親に同じ職を期待され、パブリック・スクールの名門ハロー・スクールからオックスフォード大学と進んだが、戯曲と劇場の大ファンであった少年は在学中に友人と共作で喜劇『ファースト・エピソード』(1933)を執筆。この作品が注目されてロンドン、ニューヨークで上演され、単独で書いた第一作の喜劇『フランス語入門』(1936)が1000回を超える記録的な大ヒットとなり、劇作家の道を歩み始める。ラティガンが興行的な面ばかりでなく、内容的にも評価され劇作家としての地位を確立したのは、盗みの罪を着せられた少年と家族のドラマ『ウィンズロウ家の少年』(1946)で、以下、孤独なパブリック・スクールの教師を主人公にした『ブラウニング・バージョン』(1949)、ホテルの宿泊客の味わい深い人間模様のドラマ『セパレート・テーブルズ』(1954)など、登場人物が抱える孤独や苦悩を暖かい眼差しで共感深く描いた作品に秀作が多い。

 


 

 

      『深く青い海』

     (The Deep Blue Sea, 1952)

 

解説  ラティガンの代表作の一つとして高く評価されてきた作品。『ウィンズロウ家の少年』(1946)、『ブラウニング・バージョン』(1948)で高い評価を得たラティガンが『冒険物語』(1949)や『シルヴィアって誰?』(1950)の不評の後に発表し、1年半に近いロングランとなった。

 ヒロインのへスターはガスの匂いが充満するロンドンのアパートの一室で倒れているところを同じアパートの住人や管理人に発見される。へスターは判事の夫の元を離れ、若い元パイロットのフレディと同棲していた。だが彼女の心は決して満たされず、孤独の思いに沈んでいた。彼女の愛に十分応えられないフレディ、アパートを訪れる夫ウィリアム・コリヤー卿、同じアパートの元医師らが織りなす愛情と孤独の人間ドラマ。作品にはゲイだったラティガンの禁じられた関係(年下の男性とのこじれた関係、その彼の自殺)の孤独、悲しみが反映されている。

 

初演   

 1952年3月

 ダッチス劇場(513回上演のロングラン)

 演出: フリス・バンベリー

 出演: Peggy Ashcroft (へスター)

          Kenneth More (フレディ)

           Rolland Culver (ウィリアム・コリヤー卿)

          Peter Illing (ミラー)

  

  

   ――フレディに電話をするへスター

    初演でへスター役のPeggy Ashcroft

 (演劇雑誌Theatre World の表紙、1952年5月号)

 


 

   映画化 1

 愛情は深い海の如く』

 

 (1955年/監督:アナトール・リトヴァク

  脚本:テレンス・ラティガン)

 (1955年日本公開)

 出演: Vivien Leigh (へスター)

           Kenneth More (フレディ)   

           Emlyn Williams (コリヤー卿)

           Eric Portman (ミラー)  

 

ロンドンのアパートの一室。ガス自殺を図ったヘスターは、同じアパートの住人のウエルチ夫妻と管理人のエルトン夫人に発見され、未遂に終わる。意識を取り戻した後、エルトン夫人と部屋で二人だけになったへスターは、夫人に「何に憑りつかれたかしら。こんな恐ろしい事するなんて。」と言われ、「悪魔だわ、きっと。」と答える。だが自分の言う「悪魔」とはキリスト教の悪魔の事ではないと付け加えたうえで話す(原作では第1幕冒頭の場面)

 

 へスター 悪魔と深く青い海…崖っぷちでどちらかを選ばなければならない時、人は悪魔よりも深く青い海の方に吸い寄せられてしまう。そういうものなのね。夕べがまさにそうだったわ。

 

  

実際はカラー作品: へスターを介抱するエルトン夫人()、ウエルチ夫妻(フィリップとアン)

<台詞の翻訳は拙訳(広川)の上演台本より>

 


 

 再 演 1

 The Deep Blue Sea

 

 2008年5月(ヴォードヴィル劇場)

 演出: エドワード・ホール

 出演: Greta Scacchi (へスター)

           Dugald Bruce-Lockhart (フレディ)

 

へスターは、帰宅したフレディに隠し忘れていた遺書を読まれていた。(第2幕)

 

 へスター その手紙くださらない?

 フレディ なぜ?

 へスター 私のですもの。

 フレディ 別の見方もできるんじゃないかな、封筒の宛名からすると。

 へスター 配達されないうちは、まだ送り主のものでしょう?(小声で)お願い。

(へスター、フレディを見つめたまま片手を差し出す)

 

 

 


 

 日本での上演 (1)

 『海は青く深く』

 

  1976年(劇団昴) 

  翻訳: 臼井善隆 

  演出: 福田恆存/樋口昌弘

  配役:

   ヘスター・コリヤー=鳳八千代

   フレディ・ペイジ=北村総一郎

   ウイリアム・コリヤー=加藤和夫

   エルトン夫人=新村礼子

   フィリップ=山口嘉三

   アン=島村佳江

   ミラー=西本裕行

   ジャッキー=簗瀬正昭

 

へスターはフレディから別れ話を切り出されてしまう。フレディはテスト・パイロットの仕事を得て南米で暮らすつもりだと彼女に告げる。 (第2幕)

 

 フレディ お前はここに残るんだ。いつかは話さなくてはと思っていた。俺は一人で行く。

  へスター、靴を置き、フレディを見つめる。

  …(中略)…

 へスター フレディ、脅かさないで、お願いだから…

 フレディ 脅かしてるんじゃない。真面目な話だ。

 へスター 朝になったらまったく考えが変わってるはずよ。

 フレディ いや、変わる事はない。今までの俺とは違うんだ。それに明日の朝、俺はもうここにいない。

   

  へスターとフレディ (写真提供:演劇企画JOKO)

 


 

 日本での上演 (2) 〜翻案上演

 『わたしの愛の巣』

 

  1984年3月(三越劇場) 

  脚本: 八木柊一郎 

  演出: 戊井市郎

  出演: 岡田茉利子(遥子),高岡健二(中沢稔)

     大塚國夫(柳川智秋),

     斎藤とも子(遥子の娘、柳川晃子)

 

 

 

あらすじ (劇場用パンフレットより)

ガスの栓を開け放したうえ、多量の睡眠薬を飲んだ遥子は、マンションの住人や管理人の手で意識を回復した。彼女は中沢稔と一緒に住んでいるが、彼は泊りがけでゴルフに出かけて留守だった。誰かが身寄りを呼ぶ段になって、管理人は2人が正式の夫婦ではないことを明らかにした。一流商事会社の部長夫人として何の不足もなく暮らしてきた遥子は、1年前のある日、中沢稔と逢った瞬間からその運命が大きく転換したのである。 ・・・(中略)・・・ やがてゴルフから帰ってきた稔は、彼女の自殺未遂を知り、遺書を読んで彼女の独占欲を不愉快に思い、マンションを飛び出してヤケ酒をあおり続けた。一方、知らせをうけた柳川は、行方不明だった遥子の住所と自殺未遂を知り、マンションへやってきた。柳川は妻を家に帰ろうとするが遥子は帰ろうとしない。

 

マンションを訪れた夫の柳川との会話。原作に娘は存在しない。

 

 柳川   晃子、大学うかったんだよ。第一志望に見事合格した。

 遥子  (すでに知っている) そう……。

 柳川   きみのことで、どうなるかと思ったが、かえって勉強にうちこんだのかも知れない。今日のことはあの子ももう知ってる。電話を、そばで聞いてたんでね。云わないわけにいかなかった。そうそう、昨日晃子に云われて気がついたんだ。昨日はきみの……。誕生日おめでとう。

 遥子   ……ありがとう。

 上演台本より〜資料提供:三越劇場)

 


 

  映画化 2

  『愛情は深い海の如く』

 

 (2011年/監督・脚本:テレンス・デイヴィス)

 (日本ではDVD発売のみ)

 出演: Rachel Weisz (へスター)

 2012年ニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞受賞

 Tom Hiddleston (フレディ)

 Simon Russell Beale (ウィリアム・コリヤー卿) 

 

 

 

アパートに駆けつけて来た夫に、何が君を追いこんだのか聞かれたへスターは…。(原作では第1幕)

 

 へスター 分からないわ。説明のつかない感情よ。それがとてつもなく大きな津波のように迫ってきた。

 コリヤー その感情に名前をつけるとしたら、何なんだ。

 へスター 名前… そうね… 怒り、嫌悪、それに恥。三つとも同じくらい強烈に。

 コリヤー 怒り… あいつに対してか。

 へスター ええ。

 コリヤー なら、嫌悪は?

 へスター もちろん、自分に対して。 恥は生きている事に対して。

 

 

    ウィリアム・コリヤー卿とへスター

 

フレディは一人で南米に渡り、再びパイロットの仕事をするとへスターに告げる。(第2幕)

 

 フレディ 今までとは違うんだ。 それに明日の朝、俺はここにいない。

 へスター どこへ行くの?

 フレディ 分からない。 とにかく今夜のうちにここを出ようと思っている。

 へスター だめよ、フレディ。 お願い。

 

   

     Tom Hiddleston (フレディ)

 


 

 再演 2 

 The Deep Blue Sea

 

 2011年8月

(チチェスター・フェスティバル劇場)

 演出: フィリップ・フランク

 キャスト: Amanda Root (へスター)

               Pip Donaghy (ミラー)

 

へスターはフレディとの別れが決定的となり、一人取り残された部屋で再びガス自殺をしようとする。だが元医師のミラーに止められる。苦悩と挫折を経験してきたミラーは、人生の先輩としてへスターに「生きる」ことを説く。(3幕)

 

 ミラー あなたが生きていくべきか、死んだ方がいいのか。それは私が決める問題ではない。決めるのはあなただ。あなたには勇気がある。その勇気があれば何でも実行できるはずだ。

 ヘスター (絶望的な叫び) 勇気なんて!

 ミラー そう、勇気だ。絶望して死ぬにも勇気がいる。大抵の自殺は逃避だ。あなたも自分に生きる価値がないと思って、死を選ぼうとしているんでしょう。

 ヘスター (荒々しく) もう何もわからない!生きていたくないだけ。

 ミラー 生きる事をむずかしく考える必要はない。人間は何だかんだ言っても、大抵は何とか生きていくものだ。

 ヘスター 希望がないのに、どう生きろって言うんですか。

 ミラー 簡単だ。希望がなく生きれば、希望を失って絶望する事もない。

 ヘスター 言葉でなら何とでも言えますわ。

 ミラー 言葉は生きる助けになる。だがその真の意味を理解しないとだめだ。(ヘスターを荒っぽく自分の方に向かせる。厳しい口調で)あなたのフレディは、もうここにはいない。もう二度と帰って来ない。どんな事があっても。決して。(言葉の一語一語に、強烈なパンチを食らったかのように、へスターはショックを受ける)

 ヘスター (荒々しく)分かってます。分かってます。その現実を受け止める事ができないんです。

 ミラー (野獣のような勢いで) いや、あなたならできる!「できない」という言葉で逃げてちゃだめだ。立ち向かうんだ。そうすればきっと新しい何かが見えてくる。希望なんてもの、忘れて生きればいい。そうするしかない…。

 ヘスター 何が見えてくるんですか。

 ミラー 生きる道が見えてくる。口から出まかせに言ってるんじゃない。そう…きっと見えてくる…。

 

 

       元医師のミラーとへスター

"To live without hope can mean to live without despair."

 (希望なしに生きるということは、絶望なしに生きるということ)

 

    写真下: 1955年映画版のへスターとミラー

     (ビビアン・リーとエリック・ポートマン)

   

 


 

  再演 3 

  The Deep Blue Sea

 

  2016年8月

  (ナショナル・シアター)

  演出: キャリー・クラックネル

  キャスト:

  Helen  McCrory (へスター・コリヤー)

  Tom Burke (フレディ・ペイジ)

  Marion Bailey (エルトン夫人) 

  Hubert Burton (フィリップ・ウエルチ)

  Yolanda Kettle (フィリップの妻アン) 

  Tomiwa Edun (フレディの友人ジャッキー)

  Nick Fletcher (元医師ミラー氏)

  Peter Sullivan (ウィリアム・コリヤー)

  評価:

   「タイムアウト」 ★★★★★

   “衝撃的! 絶妙な演技と演出”

   「ガーディアン」 ★★★★

   “迫力あるヘレン・マックロリーの演技”

   「デイリー・テレグラフ」  ★★★★

   “トム・バークスが見事”

   「ザ・タイムズ」 ★★★★★

   “傑出した舞台”

   「イヴニング・スタンダード」 ★★★★

   “マックロリーは主演女優賞に値する”

  〜National Theatre Liveのwebsiteより

 

公演はナショナル・シアター・ライヴとして世界の各地で上映され、日本では2017年の7月7日-13日にTOHOシネマズ(関東では日本橋、六本木、川崎)にて初公開。

 

ナショナル・シアター・ライヴの公式サイト

 

 * National Theatre LiveのTrailer (予告編)

 

 


 

 

 

Billy Elliot the Musical

  • 2017.08.11 Friday
  • 20:53

  夏休み特別講座

 

  ミュージカル『ビリー・エリオット』

  〜英語の歌詞に見る団結、自由、信念〜

 

   講師: 広川 治 (オンライン映画演劇大学代表)

 

 

 

 

 

 <目次>

  はじめに

  1.  Stars Look Down

  2.  Solidarity

  3.  Expressing Yourself

  4.  The Letter

  5.  Electricity

 


 

 

はじめに

 

オンライン映画演劇大学・今夏の推薦公演にもなっているミュージカル『ビリー・エリオット』(リー・ホール脚本・作詞 / エルトン・ジョン作曲 / スティーヴン・ダルドリー演出)の上演がTBS赤坂ACTシアターで始まっています(7/19-10/1)881745分の公演を観てきました。お父さん役は吉田剛太郎、ウィルキンソン先生は島田歌穂、おばあちゃん役は久野綾希子の日を選びました。

 

学生時代に最初に観たミュージカルが劇団四季の『キャッツ』で、あの「メモリー」を歌っていたのが久野さんでした。それから感動したのが東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』。初代のエポニーヌ役の島田さんの「オン・マイ・オウン」に涙したものです。そして蜷川幸雄さんの遺志を継いで、彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピア・シリーズの芸術監督に就任した吉田剛太郎さん。あと5作品で全37作品上演終了で、私自身も全作観劇を目指しています。

 

といった具合に、日本の舞台の歴史を代表するような皆さんが勢ぞろいです。ステージは演技、ダンス、歌のどれも素晴らしいものでした。2005年の初演もロンドンで観ていますが、決して劣ることのない出来だったと思います。華やかな都会を舞台にしたミュージカルよりも日本人の感性に(演じる方も観る方も)合っているような気がしました。ビリー役は最年少の木村咲哉くんでした。他のお兄ちゃんビリーたちに比べると、やんちゃ坊主という感じがします。でもそれが本来のビリーかもしれません。炭鉱の町の少年らしさが出ていたと思います。

 

観劇前に二つのドキュメンタリー映像を見ました。WOWOWのドキュメンタリー『ノンフィクションW 少年たちが“リトル・ダンサー”になる瞬間 』とTBSの番組『綾瀬はるかが見た!ビリー・エリオット 奇跡の600日』です。TBSの番組の方は8月23日・水曜深夜26時05分 にTBSの関東ローカルにて再放送される予定です。5人のビリー役のオーディション、稽古、舞台への思いなどを見ていたせいで、保護者になったような気持ちで、ちゃんと踊れるか心配な気持ちで見ていました。よくやった!とオンラインのお父さんはほめてあげたいです。他のビリーも個性や得意分野がぜんぜん違うので、あと4回観てみたくなりました。バレエ・ダンサーを実際に目指している加藤航世くん。ダンスだけでなく演技力がありそうな前田晴翔くん。特技が作詞・作曲で将来、歌手になれそうな歌声の未来和樹くん。そしてオーディションで合格者の4人に最初になれず、あとから5人目として加わったので、ビリーのもどかしさを表現できそうな山城力くん。それにお父さんやおばあちゃんやウィルキンソン先生が違う日もあります。観劇後のロビーで「アンコールのバレリーナ姿は柚希礼音の方がステキだったわね」などと、すでに観劇2回目のお姉さんたちの声が聞こえてきました。

 

今回の夏休み特別講座では、この『ビリー・エリオット』から主要な5曲を選び、歌詞の一部を細かく勉強していきます。英検準2級程度の講座のつもりでできるだけ丁寧に説明してみます。もちろん英語の勉強だけでなく、このミュージカルが伝えようとしているメッセージも英語の歌詞に探っていきたいと思います。

 


 

 

     1.  Stars Look Down

 

ミュージカルのファースト・ナンバー

ミュージカルは1曲目ですべてを制す、と言ってもいいのでは? 特に効果的なのがグループ・ダンシング(群舞)によるオープニングです。舞台となる街の人々が歌ったり、踊ったり。映画で言えばニューヨークの街の俯瞰撮影に始まり、対立する不良グループのシャープなダンスに始まる『ウエストサイド物語』や、L.A.のハイウエイで始まる映画『ラ・ラ・ランド』の Another Day of Sun”などがあります。こうした場面では、主人公は群舞やコーラスに参加していません。物語の舞台となる場所や時代の状況が描かれ、人々が何を求めて暮らしているのかが提示されます。そうした状況で主人公がどんな人物で、どんな思いを抱いているか歌われるのは二曲目以降です。『ウエストサイト物語』なら、トニーが恋の期待感を歌う“Something’s Coming”、『ラ・ラ・ランド』ならミアとルームメイトがパーティーで映画スターになるチャンスを狙う“Someone in the Crowd”がいい例です。

 

もちろん冒頭からまず主人公ありき、もありますよね。たとえば高校生のトレイシーがボルチモアの町中を登校しながら元気よく歌う『ヘアスプレー』。主人公と街や村などのコミュニティが一体となったオープニングです。『屋根の上のバイオリン弾き』では、ユダヤ人のトポルが村の人々のコーラスをバックに村の「伝統」を紹介していきます。『レ・ミゼラブル』では、重労働に従事させられている囚人たちと服役中のジャン・バルジャンの歌で始まります。『ビリー・エリオット』のファースト・ナンバーは、この『レ・ミゼラブル』とほぼ同じパターンで、炭鉱夫たちの歌に始まり、そこに主人公ビリーのソロのパートが挿入されている形式です。

 

希望のための接続詞“although”

ではここで、その『レ・ミゼラブル』の1曲目Look Down”と『ビリー・エリオット』の“Stars Look Down”の出だしをちょっと比較してみましょう。まずは映画『レ・ミゼラブル』から。

 

  Valjean :  Look down, look down

 Don't look them in the eye

 All:  Look down, look down

 You're here until you die

 Concict A:  No God above

 And hell alone below

 All:  Look down, look down

 There’s 20 years to go 

 

バルジャン: 下を見ろ、下を見ろ

 看守らと目を合わせるな

全員: 下を見たまま

 みんなここから出られない、死ぬまで

囚人A: 神は上におらず

 地獄だけが下にある

全員: 下を見ろ、下を見ろ

 あと20年同じ毎日。

 

次は『ビリー・エリオット』の1曲目、炭鉱夫たちが歌う“Stars Look Down”です。

 

 Through the dark

 And through the hunger

 Through the night, and through the fear

 Through the fight and years of hardship

 Through the storms, and through the tears

 And although your feet are weary

 And although your soul is worn

 And although they'll try to break you

 And although you'll feel alone

 We will always stand together

 In the dark right through the storm

 We will stand shoulder to shoulder

 To keep us warm

 

Through (〜を通って、乗り越えて)という言い方に続く単語を拾い出していくと、それらはdark (暗闇)hunger (飢え)night ()fear (恐怖)fight (闘い)hardship (苦難)storm ()tears ()。いずれも過酷な労働や争議を生き抜いてきた炭鉱夫たちの苦労がにじんだ言葉ばかりです。続く表現も「足は疲れ、心はすり切れ、打ち砕かれ、寂しい思いをする」と暗いものばかりです。しかし、ここにalthough = though (けれども、たとえ〜であろうと)という言葉があります。単純な逆接の言葉ですが「希望のための接続詞」と呼べる言葉だと思います。

 

スピーチなどには欠かせない単語で、例えばケネディ大統領も19641024日の演説で、“although children may be the victims of fate, they will not be the victims of our neglect.(たとえ子供たちが運命の犠牲者であろうとも、我々の怠慢の犠牲者にしてはならない⇒我々は見捨ててはいけない)と述べています。『レ・ミゼラブル』ではあの“On My Own(ひとりぼっち)という歌で、片思いのエポニーヌが“And although I know that he is blind, still I say, there's a way for us.(あの人が私を見てくれないのは分かっている。それでも信じてる、まだ道はあるって)と切ない望みを歌っています。

 

『ビリー・エリオット』ではalthoughの繰り返しのあとに“We will always stand together…”と仲間との連帯が歌われ、次に共通の精神として“the stars look down”のフレーズが繰り返されていきます。(the mean = みっともない、みじめなこと)

 

 And the stars look down on the mean

  and hungry

 And the stars look down and show the way

 And the stars look down

 And will stand together to see a day

 

 どんなにみじめでも

 飢えていても 

 星が俺たちを見下ろし導いてくれる

 星が見てくれている

 共に勝利の日を見るために

 

 When then stars look down

 And know our history

 When the stars look down upon our past

 And the stars look down

 And see our future bright at last

 When we'll stand as one beneath the sun

 

 星は見て知ってる 

 俺たちの歴史

 そして 俺たちの過去を

 俺たちの明るい未来が

 いつか訪れる

 俺たちが太陽の下で立ち上がる時に

 

『ビリー・エリオット』の場合、囚人たちの絶望の歌とは異なり、“look down”するのは、炭鉱夫たちではなく、天に輝く星々です。炭鉱夫は常に上を見ているのです。そして星々は炭鉱夫たちを見守っています。

 

ビリーの登場

この後しばらくして、炭鉱夫や村の人々に交じって登場していたビリーが同じメロディーでひとり歌い始めます。主人公の思いが歌われる注目の瞬間です。

 

 Take me up, and hold me gently

 Raise me up, and hold me high

 Through the night and the darkness

 Will come a day, when we will fly

 And although we've been rejected 

 And although we've been outcast

 We will find a new tomorrow…

 

ビリーは炭鉱夫以上に上を向き、高いところを目指しています。“Take me up...”以下、最初の2行は「僕を優しく抱えていて、高く空の上へ連れてって」というビリーの願望が歌われています。ただどのような高い場所へ行きたいのか、この時点ではまだ具体的には決まっていません。しかし第2幕の白鳥の湖の場面では、実際にステージで天高く舞うという演出で視覚的にビリーの目指す目標の高さが表現されています。

 

4行目が要注意です。“Will come a day…”は倒置されている文なので、主語はday。したがって「僕たちが飛び立つ日がやって来る」という意味です。そしてここでもalthoughが使われていて「たとえ見捨てられても、新しい明日を見つけ出そう」と逆境に耐える意志が歌われています。ここでビリーが歌っている希望や信念は炭鉱夫である父親の遺伝子を受け継いでいるものではないでしょうか。目指すものは最終的に違っても、強い信念を持つ血は地域と家族のものを受け継いでいると言えるでしょう。

 


 

 

       2.  Solidarity

 

ウイルキンソン先生のShine (輝け)、おばあちゃんが過去の郷愁を歌った歌に続いて、大迫力のミュージカル・ナンバーの登場です。日本版舞台では「団結を永遠に」という題で「団結だ、団結だ」と繰り返されて歌われていました。このsolidarity (団結、連帯)という単語は形容詞が“solid”が「固い、しっかりした、頑丈な」という意味であることからも分かるように、非常に強い意志や状態を伝える言葉です。1980年代にワレサが指導したポーランド民主化の先駆けとなった労働運動の組合名称がSolidarity (連帯)でした。警官たち、炭鉱夫たち、バレエ・レッスンのクラス・メンバーの3グループが舞台で交錯していくユニークなナンバーのさびの部分を見てみましょう。

 

 Solidarity solidarity, solidarity forever

 All for one and one for all, solidarity forever

 Solidarity solidarity, solidarity forever

 All for one and one for all, solidarity forever

 

All for one and one for all”は、「皆は一人のために、そして一人は皆のために」と「連帯」の定義となっています。この曲では炭鉱夫たちの闘争のための「団結」だけでなく、彼らと対峙する警官たちのsolidarityも諷刺的に歌われています。そしてウィルキンソン先生が皆を一体に踊らせるバレエ指導の精神まで。これらが一体となった歌とダンス(所々で笑える振付)のアンサンブルは見事というしかありません。日本版舞台のコーラスもダンスも最高で、コーラスのレベルはイギリスより高いのでは?と思わせる部分もありました。

 


 

 

      3.  Expressing Yourself

 

ビリーの友人マイケルのナンバー。日本版題名は「自分を表現しよう」。女装が大好きなマイケルがビリーにもドレスを着せていっしょに楽しく歌って踊ります。『プロデューサーズ』や『紳士のための愛と殺人の手びき』のようなミュージカル・コメディとは違って、シリアスな曲やドラマ部分が多いミュージカルでは、たいていどこかにコミック・リリーフ的な場面と歌が用意されています。ひと息ついて笑って楽しむ場面です。『レ・ミゼラブル』ならば盗みや詐欺を繰り返しているティナルディエ夫妻がおどけて歌う“Master of the House(宿屋の主人)がそうです。

 

しかしマイケルとビリーをティナルディエ夫妻と並べるなんて大変失礼なことをしてしまいました。“Expressing Yourself”は「団結」のテーマと一見、相反するようですが、作品のテーマの一つである「自由」な自己表現の精神です。

 

アップテンポで歌い始める部分を見てみましょう。WhatWhoのあとのthe hellon earthと同じく「いったい」の意味。Emphasise = 「強調する」ですが、米語の場合のスペルはsでなくてzです。そのあとのintegrityは「完璧な状態」なので、「最高のおしゃれをしよう」とか「カッコよくきめよう」というような訳がいいかもしれません。英国公演のDVDの字幕では「上手にコーディネイトしよう」となっています。Cosは口語で使われるbecauseの短縮形で、Cos =Coz = cause = becauseです。

 

 What’s the hell wrong with expressing

  yourself?

  自分を表現して何が悪い?

 Being who you want to be?

  なりたいものになったって

 Will anybody die if you put on a dress?

  ドレスを着たって誰か死ぬわけじゃないし

 Who the hell cares if your blusher’s a mess?

  ほほ紅が変でも誰も気にしないよ

 Start a new fashion, buck all the trends

  最新ファッションでおしゃれをしよう

 Emphasise integrity

  ばっちりきめようよ

 Cos what’s the hell is wrong with

  expressing yourself

  自分を表現して何も悪くないんだから

 For wanting to be me?

  自分が自分になりたいだけなんだから

 


 

 

      4.  The Letter

 

哀愁漂うメロディーに泣かせる手紙の内容…感動的な場面です。病気で亡くなったお母さんが生前にビリーに残していた手紙をウィルキンソン先生が声に出して読みます。その朗読が歌に変わっていき、最後には舞台袖に現われたお母さんも歌に加わります。その冒頭部分を見てみましょう。ポイントは未来完了形という文法が使われているところです。このまま死んだら「将来、〜することになってしまう」という将来完了してしまう、終わってしまう気持ちを表現するためにwill have +過去分詞の形が繰り返されています。

 

それからもう一か所注目すべき点があります。“Stars Look Down”の冒頭の表現:Through the dark, and through the hungerthroughがここではthrough everythingという言い方で使われています。ここには「どんな時でも、常に」見守っているというお母さんの優しい気持ちが込められています。日本語訳を英国舞台のグッとくるDVD字幕から引用して付け加えておきます。

 

 Mrs Willkinson:  Dear Billy,

  I must seem a distant memory…

 (Billy:  Which is?) …which is probably

  a good thing

 And it will have been a long…

 (Billy …long time)

 

 ウイルキンソン先生: “愛しいビリー 

 ママは もう遠い思い出ね

 (ビリー: でも…) でも それでいいの 

 18歳に… (ビリー: …なるまで)

 

 And I will have missed you growing

 And I'll have missed you crying

 And I'll have missed you laugh

 Missed your stamping and your shouting

 I have missed telling you off

 

 But please, Billy

 Know that I was always there

 I was with you through everything

 And please, Billy…

 Know that I will always be proud

  to have known you

     

 成長が見たい

 あなたが泣いたり

 笑う姿を見たい

 ケンカしたり叫ぶ姿を見たい

 あなたを叱りたい

 

 忘れないで

 ママはいつも見守ってるわ

 あなたのそばにずっといる

 ビリー

 どんな時もママは一緒よ

 


 

 

             5.  Electricity

 

このミュージカルの主題歌と言える歌です。作曲したエルトン・ジョンもバラードとしてライブなどで歌っています。歌の最後に“I’m free”とあるように、ビリーの「自由」への強い「信念」が歌に続くダンスで力強く表現されていきます。劇のクライマックスと呼んでもいいと思います。炭鉱夫たちの団結や強い信念がビリーへの応援に発展し、“Expressing Yourself”でマイケルが歌っていた「自由」の精神がビリーの中でリアルなものとして輝き始めます。

 

ここに「団結」「自由」「信念」に三つが結びつき、ミュージカル『ビリー・エリオット』のメッセージが完成します。そしてやっぱり星々がビリーと炭鉱の町を見守ってくれているんだな、と観客も実感できるようになっています。ラストシーンでは、亡くなったお母さんが町を離れるビリーを見送りに現われます。ちょっと感傷的ですが、ビリーのお母さんも炭鉱町を見守ってくれている星の一つなんだな、と考えると一層、感慨深いものがあります。

 

では実際に日本版ではどのような歌詞で歌われているのか、劇場プログラムに掲載されている訳詞と会話調の直訳と比較して見ていきましょう。ビリーはオーディションの最後で「ねえ、ビリー、ダンスをしている時はどんな気持ちになるんですか?」と質問され、自分の今の気持ちを歌い始めます。

 

 I can't really explain it

 I haven't got the words

 It's a feeling that you can't control

 

 本当に説明できません

 言葉が見つからないんです

 抑えられない感情なんです

 

これでは字幕ならともかく、歌えませんよね。サントラ盤のCDを買ったり、あるいは配信で聞いてみたりして、実際にメロディーを聞いて歌ってみるとよく分かると思います。日本版舞台の高橋亜子さんの訳詞では次のようになっています。

 

 上手く言えません

 言葉にできない

 抑えきれない気持ち

 

やっぱりミュージカルの歌ならこういう文体になりますよね。メロディーに言葉がきちんと収まっています。ただし最初から独立した歌のように意訳して、さらに歌いやすくしたら、どうなるでしょうか。たとえば、次のように。

 

 ダンスをすると

 心の中で

 言葉が消えていく

 

続く同じメロディーの繰り返しでは、言葉だけでなく自分の存在まで消えていきます。I supposeは「僕はたぶん〜だと思う」、who you areは「本来の自分」という意味です。英語ではyouと言っても目の前の相手に限らず、仮の主語の場合もあるので「あなた」というより「一般に誰でも」という意味での主語です。ここではビリー自身のことを間接的に指しています。以下、原文に<直訳><舞台訳詞>、さらに意訳した版をこの大学の<オンライン版訳詞>として並べてみましたので、少しずつ比べながら見ていきましょう。

 

 I suppose it's like forgetting

 Losing who you are

 And at the same time

 Something makes you whole

 

<直訳>

 たぶんそれ(僕の気持ち)自分を忘れて

 失ってしまうことかも

 同時に

 何かが自分を完璧(=whole)にしてくれる

 

<舞台訳詞>

 自分をなくすような 

 忘れるような

 ほんとの僕に

 なるような

 

<オンライン版訳詞>

 どこにいるのか 

 教えてほしい

 さまよいながら 

 自分を探す

 

 It's like that there's a music

 Playing in your ear

 And I'm listening, and I'm listening

 And then I disappear

 

<直訳>

 まるで音楽が

 耳の中で演奏されているみたい

 そして僕はそれを聞いて、聞いて

 それから消えていく

 

<舞台訳詞>

 耳の奥で

 音楽が鳴り出して

 追いかける 追いかける 

 自分が消える

 

<オンライン版訳詞>

 耳の奥に 

 ダンスのメロディ

 もう僕は 

 ここにいない

 

 And then I feel a change

 Like a fire deep inside

 Something bursting me wide open

 Impossible to hide

 

<直訳>

 そうするとある変化を感じる

 まるで体の奥に炎があるみたい

 何かが僕を燃やし、僕を広く開けるから

 隠れることができない

 

<舞台訳詞>

 僕は変わる 

 何かが燃えて 

 僕を開く

 もう逆らえない

 

<オンライン版訳詞>

 炎が燃えて

 僕は変わる

 新しい自分が

 見えてくる

 

 And suddenly I'm flying, flying like a bird

 Like Electricity, electricity

 Sparks inside of me

 And I'm free, I'm free

 

<直訳>

 すると突然僕は飛び立つ、鳥のように

 まるで電気、電気が

 自分の中で閃いているよう

 そうして僕は自由、僕は自由だ

 

<舞台訳詞>

 僕は舞い上がる 鳥のように

 まるで電気 そう電気 

 胸で弾けて

 僕はもう自由

 

<オンライン版訳詞>

 鳥のように 空を羽ばたく

 体の中を 流れる電気

 輝くハートで

 自由になれる

 

この後に歌詞はさらに続きますが省略します。Electricity (電気)という感覚を言葉で表現するのは、結構むずかしいですね。そう言えば「君の瞳は一万ボルト」なんて昭和のヒット曲がありました。

 

以上、『ビリー・エリオット』の英語の歌詞を見てきました。かつて劇団四季が『ジーザス・クライスト・スーパースター』をオリジナルのようにジーンズをはいた現代版と斬新な歌舞伎のようなメークや衣装の日本版の二種類を同時期に上演したことがありました。『ビリー・エリオット』の日本版舞台の今回の訳詞は、イギリス側の意向もあってか、他のミュージカルに比べて単語を一語一語大切にした訳詞になっていました。でもこの際、俳優にダブル以上のキャストが許されるなら、再演の際には翻訳も複数のバージョンを使ってみたら?…なんて無理かもしれませんね。

 

それから翻訳で今回の上演で注目した点がもう一つ、会話部分の日本語訳です。今回の舞台の台詞は炭鉱町のイメージから、九州弁に訳されていました。『ビリー・エリオット』の英語の発音は、労働者階級の話し方で炭鉱町の地方訛りなので、例えば、“Stars Look Down”ではhungerが「ホンガー」のように発音されていたりします。英会話の教材にはできないような英語です。オードリー・ヘップバーン扮する花売り娘のロンドン訛りが音声学者によって矯正されていく『マイ・フェア・レディ』からも分かるように、イギリス英語と言っても多種多様です。英国より少しだけ広い面積の日本でもそれは同じこと。

 

ですから、いっそのこと、朝ドラの『あさが来た』に出てきた三池炭鉱あたりを舞台にした翻案版を製作して、「江藤光」少年の物語 (英題:Hikaru Eto)にしたら…誰も見たくないか。現代版をアメリカで作って、マギー・サッチャーの代わりに「メリー・クリスマス、ドナルド・トランプ」と移民の多い町の人々に歌ってもらった方が面白いかもしれませんね。

 

大ざっぱで歌謡曲のような訳詞ですが“Electricityの<オンライン版訳詞>をまとめて掲載しておきます。ホリプロの公式サイトでElectricityのプロモーションビデオが見られますので、映像を参考にしてぜひ歌ってみて下さい。

 

ミュージカル『ビリー・エリオット』公式サイト

 

 

 ダンスをすると 心の中で

 言葉が消えていく

 どこにいるのか 教えてほしい

 さまよいながら 自分を探す

 

 耳の奥に ダンスのメロディー

 もう僕は ここにいない

 炎が燃えて 僕は変わる

 新しい自分が 見えてくる

 

 鳥のように 空を羽ばたく

 体の中を 流れる電気

 輝くハートで自由になれる

 

 

『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』

  • 2018.05.21 Monday
  • 22:34

 

      ローゼンクランツと

     ギルデンスターンは死んだ

      ナショナル・シアター・ライブ

 

 

 

 作:トム・ストッパード (初演1966年)

 原題:Rosencrantz & Guildenstern Are Dead

 今回の再演:2018年2月〜5月

        (オールド・ヴィック劇場)

 演出:デヴィッド・ルヴォー

 出演:

    ダニエル・ラドクリフ(ローゼンクランツ)

    ジョシュア・マグワイア(ギルデンスターン)

    ルーク・マリンズ (ハムレット)

    デヴィッド・ヘイグ (旅芸人)

 上映期間:5/25 (金) 〜31 (木)

 上映館:TOHOシネマズ日本橋/川崎ほか

 上映時間:2時間30分(休憩20分含む)

 公式サイト:ナショナル・シアター・ライブ

 


 

 <目次> 

 1. 解説

 2. 予備知識:『ハムレット』のあらすじ

 3. 『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』

   物語と登場人物

   (1) あらすじ

   (2) 各幕の内容

   (3) 登場人物

 4. 作者:トム・ストッパード

 5. キャスト/スタッフ

 6. 映画化(1990年)

   監督・脚色:トム・ストッパード

   主演:ゲイリー・オールドマン

      ティム・ロス

 7. 日本での上演

   生瀬勝久・古田新太主演

   生田斗真・菅田将暉主演など

 


 

                    1.解 説

 

トム・ストッパードの『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を楽しむ方法は二つある。一つは何の予備知識もなしで観る方法。シェイクスピアの書いた『ハムレット』の世界を脇役二人の視点から描いているのだから、事前学習が絶対に必要かというと案外そうでもない。基本的にこの作品は喜劇なので、とにかく二人の妙なやり取りのおかしさを楽しめばいいのである。実際、昨年日本で上演された生田斗真(ローゼンクランツ)と菅田将暉(ギルデンスターン)主演の舞台では、二人のセリフや仕草の一つ一つに観客が笑い、これが不条理劇と呼ばれた作品とは思えないほど親しみやすい舞台に仕上がっていた。むしろ、デンマーク王に召されて、何が何だか分からないまま宮廷をさまよう二人が抱える不安、もどかしさのようなものを共有できるという意味では、へたに『ハムレット』に詳しくなるよりは何も知らない方が自然な鑑賞方法だと言える。ただし『ハムレット』の多少の予備知識があれば、作品を客観的に眺めることができ、別の次元で作者の巧妙な仕掛けに唸らされる部分がある事も事実である。

 

ローゼンクランツとギルデンスターンはシェイクスピアの『ハムレット』の端役二人。先王である父親の亡霊に命じられ、現国王である叔父への復讐を果たそうとするハムレットの物語の中で、ローゼンクランツとギルデンスターンは国王に命じられハムレットの様子を探ることになる。二人はハムレットの旧友らしいが、特別にハムレットの思い入れがある親友ではない。若きデンマークの王子は二人に心の内を明かすことはなく、むしろ最初から彼らの背後にいる叔父クローディアスの空気を感じ取っている。

 

『ハムレット』についてさらに詳しく知りたい、あるいは思い出しておきたいという人のためにここで作品を概観してみたい。ローゼンクランツとギルデンスターンが呼び寄せられたデンマークの宮廷にはどんな表のドラマがあったか、そしてマイナーなキャラクターである二人はどこでどのように登場していたか、ここで整理してみることにする。以下のあらすじでは、カラーの登場人物が『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』にも登場する。(石田伸也・演劇学部教授)

 


 

    2.予備知識

     『ハムレット』のあらすじ

 

1

第1(亡霊の出現)

デンマークのエルシノア城に死んだばかりの先王の亡霊が出現する。

第2(戴冠式のあとで)

王子ハムレットが言い知れぬ悲しみに沈んでいる。父親が死んだばかりでなく、叔父のクローディアスが母親のガートルードと再婚し、王位についたからだ。

第3(オフィーリア)

ハムレットが愛するオフィーリアの登場。彼女の兄レアティーズが留学先のフランスへ出発する。兄も父親のポローニアスもハムレットとオフィーリアの交際を快く思っていない。

第4場/第5(復讐の誓い)

ハムレットが父親の亡霊に遭遇する。亡霊はクローディアスに毒殺されて王位も王妃も奪われたと語り、復讐を息子に命じる。ハムレットは復讐を果たすために狂気を装い、叔父の動向を探ることにする。

 

第2

第1(ハムレットの狂気)

変貌したハムレットの異様な様子を動揺したオフィーリアが父親に報告する。これを聞いたポローニアスは恋ゆえの狂気と思い込み、大臣として国王に報告せねばと考える。

第2(狂気の原因を探る)

クローディアスはハムレットの友人であるローゼンクランツとギルデンスターンを呼び寄せて狂気の原因を探らせる。二人はハムレットに接するがはぐらかされるばかりで、しまいには問い詰められて自分たちが王と王妃に呼ばれたことを白状してしまう。(この場面の詳細と主要な台詞はこちら ⇒ 国王に召されたローゼンクランツとギルデンスターン

旅役者の一行が到着する。ハムレットは王の良心を刺激する芝居を上演し、反応を観察することにする。

 

第3

第1(生きるべきか死ぬべきか)

ローゼンクランツとギルデンスターンはクローディアスと王妃からハムレットの様子はどうだったかと尋ねられる。クローディアスとポローニアスはハムレットにオフィーリアと話をさせる場を仕掛け、物陰でその様子を伺うことにする。ハムレットが “To be or not to be”(生きるべきか死ぬべきか)と冥想的な独白を語りながら登場する。おとりに使われているオフィーリアに対しては「尼寺へ行け」と非難を暗示するような語句を何度も繰り返す。オフィーリアは泣き崩れてしまう。

第2(芝居の上演)

王の御前で国王毒殺の芝居が上演される。クローディアスは芝居を観てたじろぎ、上演を中止させる。

第3(罪の許しを祈るクローディアス)

クローディアスが1人で罪の許しを祈る。ハムレットは復讐の絶好の機会と考えるが、祈りの最中は最適ではないと判断して思い留まる。

第4(ポローニアスを刺殺/ガートルードを非難)

ハムレットは母親の部屋の物陰に隠れていて様子を伺っていたポローニアスを叔父と思って刺し殺してしまう。怯える母親に対してハムレットは叔父との結婚の非難の言葉を浴びせるが、父親の亡霊が登場し、諫められる。

 

第4

第1(ポローニアスの死体を探せ)

クローディアスはローゼンクランツとギルデンスターンにハムレットを見つけ、ポローニアスの死体を礼拝堂におさめるよう命じる。

第2(死体のありか)

ローゼンクランツとギルデンスターンはハムレットに死体のありかを尋ねるが、相手にされない。

第3(イギリス行き)

ローゼンクランツとギルデンスターンがクローディアスの前にハムレットを連れてくる。ハムレットはイギリス行きとなり、二人は同行を命じられる。

第4(ハムレットの新たな決意)

ローゼンクランツとギルデンスターンが同行するイギリスへの旅の途上、デンマークの平野でハムレットがノルウェー王フォーティンブラス率いる軍隊を眺める。名誉のために戦地に向う国王と自分を比べ、復讐を果たせないでいる自分を情けなく思い、決意を新たにする。

第5(発狂したオフィーリア)

父親の死後に発狂したオフィーリアが歌を口ずさみながら国王、王妃らの前に現れる。帰国した兄レアティーズもその姿を目撃し唖然とする。

第6(ハムレットからの手紙)

ハムレットからの手紙が親友ホレーシオの元へ届く。海賊船に襲われて一人だけ捕虜となったが手厚くもてなされたこと、ローゼンクランツとギルデンスターンはイギリスへの旅を続けていることが伝えられる。

第7(ハムレット謀殺計画/オフィーリアの死)

クローディアスはレアティーズを焚きつけてハムレットと剣の試合をさせようとする。二人は剣先に毒を塗り、王子の命を奪う計略をめぐらす。

そこへ王妃ガートルードが現れ、オフィーリアが川で溺死したことを伝える。

 

第5

第1(墓場)

歌を口ずさみながら墓を掘っているのんきな墓掘りに帰国したハムレットが話しかけ、死について思いをめぐらせる。そこへオフィーリアの亡骸が運ばれる。亡骸を前にしてレアティーズはハムレットにつかみかかり、二人は激しく対立する。

第2(イギリス王への親書/レアティーズとの対決)

ハムレットが親友ホレーシオに旅の船中での出来事を語る。クローディアスがイギリス王へ宛てた親書の文面をこっそり盗み見ると「即刻、ハムレットの首をはねよ」と書いてあったので、親書を偽造して「手紙の持参者二名の首をはねよ」と書き改めたのだと。ハムレットはローゼンクランツとギルデンスターンに対して良心のとがめはない。

 クローディアスは剣の試合を観戦中にハムレットに毒入りの杯を飲ませようとするが、ガートルードが飲んでしまい、彼女は倒れる。ハムレットは毒の剣に傷つくが、奪った剣でレアティーズにも毒入りの剣の一撃が加えられる。倒れたレアティーズから毒殺の計略を告白されたハムレットは、国王を刺し、さらに毒入りの杯の残りを飲ませ、復讐を遂げて息絶える。

 イギリスからの使節が来訪し、ローゼンクランツとギルデンスターンの死を伝える。同時に来訪したノルウェー王フォーティンブラスが屍の山に驚き、ハムレットを武人らしく丁重に弔うよう部下に命じる。

 


 

 

 3. 『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』

         物語と登場人物

 

        (1) あらすじ

 

国王の使者に命じられて宮廷へ向かっているローゼンクランツとギルデンスターンが投げ銭の賭けをしている。ところが何度やっても出るのは「おもて」ばかり。二人はこのあり得ない現象に驚いている。宮廷に着くと二人は国王と王妃から王子ハムレットの狂気の原因を探ってほしいと頼まれる。しかしハムレットにはまともに相手にされず、出たり入ったりの宮廷の騒動に翻弄されるばかり。自分たちの先の読めない状況や死について語り合ったり、旅の道中に出会った旅芸人一座の座長と再会して彼らの舞台稽古を見たりするが、騒動が収まるとハムレットをイギリスへ連れて行く役目を担わされる。イギリスへ向かう船の中で二人は国王がイギリス王に宛てて書いた親書を開封し読んでしまう。そこには「ハムレットの首を即刻はねよ」と書かれていた。再び旅役者たちが現れる。だが船は海賊に襲われ、ローゼンクランツとギルデンスターンと座長のみ船に取り残される。最後に二人は実際に自分たちが迎えようとしている運命の真実を知ることになる。

 


 

       (2) 各幕の内容

 

 * 作品は全3幕からなる。内容はロンドン初演時の

  テキストに基づく。今回のオールド・ヴック劇場

  での上演では、約2時間30分のうち、第2幕の途中

  までで前半第1幕(約90分)とし、20分の休憩後の

  残り約40分を第2幕としている。  

  グリーンの部分は『ハムレット』にある場面。

  引用は『今日の英米演劇5』所収の倉橋健訳。

 

第1(コインはいつも“おもて”のみ)

ギルデンスターン(以降“ギル”)がコインをはじいて落とし、ローゼンクランツ(以降“ロズ”)がそれを調べるという投げ銭の賭けをしている。ところが何度やっても出るのは「おもて」ばかり。ギルはこのあり得ない現象を不思議に思うが、ロズは「連続85回。記録やぶりだ」などと喜んでいる。二人はどうやら国王の使者に言われて宮廷へ向かっているようである。

 

   

    ギルデンスターン(左)とローゼンクランツ

   Photo: Manuel Harlan

 

彼らの前に旅芸人の一座が現れる。二人は座長に得意の出し物の場面を見せてくれと頼み、いよいよこれから上演されるのかと思っていると「もう始まっている」と座長は言って立ち去る。

 

しばらくすると恋人のオフィーリアを追いかけてデンマーク王子ハムレットが登場。ハムレットは青ざめた悲しい様子で何も言わずに彼女を見つめるが、しばらくすると二人とも立ち去ってしまう。(これは『ハムレット』2幕1場でオフィーリアが父親に報告するハムレット錯乱の様子。ただし本来ロズとギルはこの場にはいない。)ロズとギルは唖然として立ちつくすばかり。すると今度は国王クローディアスと王妃ガートルードが登場し、ロズとギルはハムレットの狂気の様子を探ってもらいたいと頼まれる。(『ハムレット』2幕2場の冒頭)

 

ロズとギルは何とも言いがたい不安にかられ、ロズは「とんだ深みにはまって、ひどい目にあいそうな気がする。虫の知らせだ、死の知らせだ」と恐れる。二人が質問文の形式のみで会話するルールの質問ゲームを始め、気を紛らわせていると、ハムレットが本を読みながら黙って舞台を横切るロズとギルはハムレットと話す時のための予行演習を始め、再び現れたハムレットに二人は話しかける。

 

第2(デンマークの宮廷を右往左往)

ハムレットとの会話の続き。(『ハムレット』でロズとギルにハムレットが「デンマークという牢獄に送りこまれたな」と語る会話の内容はここでは意図的に省略されており、のちのロズとギルの会話の話題になっている。)二人きりになるとロズとギルはハムレットの様子、自分たちの運命について議論する。

 

するとハムレットと旅芸人の一座が登場。ハムレットは翌日「ゴンザーゴ殺し」を王の前で上演するよう指示をする。ロズとギルと再会した座長が自分たちは置き去りにされたと憤慨した様子を見せる。座長が退場すると、二人は死について思いをめぐらす。

 

    

     ギル(左)とロズ Photo: Alastair Muir

 

国王と王妃らが登場。ロズとギルはハムレットの様子について尋ねられる。 (『ハムレット』3幕1場)  さらに、ハムレットが短剣でひと思いに突き刺すことの是非を考えながら登場したり、オフィーリアがハムレットに非難の言葉を浴びせられ泣き出してしまうなど、立て続けに出たり入ったりの騒動にロズとギルは翻弄されるばかりである。(ただし『ハムレット』では独白やオフィーリアとの場に二人は登場していない。)

 

ロズとギルの前で役者たちが舞台稽古を始める。演目は様式化された無言劇で、先王である父親を毒殺したのが本当にクローディアスであるのか、ハムレットが御前で上演し反応を見て確証を得ようとしているものである。だが国王毒殺の場のあとには、ハムレットによってポローニアスが刺され、その結果彼はイギリスに送られ…という『ハムレット』の後半の物語を暗示するような劇に変わる。芝居の幕切れはロズとギルのような二人がイギリスで処刑される姿。ロズとギルは死の恐怖を感じながらも、演じられた死というものに現実を読み取ることを拒否する。舞台裏からは芝居を観て動揺したクローディアスが上演の中止を命じる声と宮廷の騒ぎが聞こえてくる。(『ハムレット』3幕2場)

 

今回の2幕構成の上演では、ここまでを第1幕として休憩が入る。

 

  

   旅芸人の役者と座長 Photo: Manuel Harlan

 

クローディアスはロズとギルに、ハムレットに刺し殺されてしまったポローニアスの死体を礼拝堂に運ぶよう命じる。二人はハムレットに死体のありかを問いただすが相手にされない (『ハムレット』4幕1場〜3場)。 クローディアスに国外へ追いやられことになったハムレットはロズとギルと共にイギリスへ向かって旅をする (『ハムレット』4幕4場)。 ハムレットをイギリスへ連れて行く役目にあるロズとギルは、旅の途上、いつまでも捉えることができない自分たちの状況について苦渋の思いを語り合う。

 

3(イギリスに向かう船の中)

 

   

    船中のロズ(左)とギル Photo: Alastair Muir

 

ロズとギルの不安はますます強くなる。ギルはクローディアスがイギリス王宛てに書いた書状を預かっていた。二人はその封を破り開封して唖然とする。即刻ハムレットの首をはめるように指示されていたからだ。だがロズとギルが眠りについた深夜、ハムレットは密かに手紙を抜き取り、しばらくすると元に返す。(この行為は『ハムレット』では5幕2場でホレーシオに語られる)

 

船に置かれていた樽から座長および一座の役者たちが現れる。王を怒らせてしまったので逃げ出し、隠れていたのだという。そこへ海賊が襲撃してくる。(『ハムレット』では海賊の襲撃は4幕6場のホレーシオへの手紙の中で言及されるのみ)

 

ロズとギルと座長の3人だけが船に取り残される。ハムレットがいなくなった今、ロズとギルはイギリス到着時の説明の言葉を考えざるを得ない。二人は改めて手紙を開封し、そこに「ローゼンクランツとギルデンスターンをただしに死刑に処すように」と書かれてあるのを見て愕然とする。するといなくなったはずの役者たちが再び現れ、座長と共に二人を囲み、不気味な円を作る。ギルは座長のベルトから短剣をひったくり彼を刺してしまうが、剣は偽物だった。

 

座長は死というものは演技だと主張し、再び無言劇で『ハムレット』のいくつもの死の場面を二人に見せるが、ギルは「死はロマンチックな幕切れではない」とイラついて反論する。ロズは「太陽が沈むのか、地球が上がってくるのか、どっちだって変わりはない」と開き直る。やがて二人の姿は消えていく。イギリスの使節が登場し「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」と報告する。ハムレットの親友ホレイショーの『ハムレット』を締めくくるセリフで劇は終わる。(『ハムレット』5幕2場)

 


 

        (3) 登場人物

 

         ギルデンスターン

      

 

シェイクスピアの『ハムレット』ではどっちがどっちだか分からないような二人だが、ストッパードは明確に二人を描き分けている。おもてばかり出続けるコインに対してギルは何かがおかしいと懐疑的だが、ロズは「今日はついていないらしいな。」などと無邪気に考えている。ギルは人生や世界に公式を求めて「始まりはただ一つ、生まれということであり、終わりもただ一つ、死あるのみ」などと発言する。案外、ギルはハムレットに近い性格と言えるかもしれない。ギルの言葉にはハムレットの独白に見られるような瞑想的に語られる真実の瞬間がある。演技というかたちで死を表現しようとする座長に対して、ロズは現実的な死の見方を披露している。

 

「おまえは何千回となく、いいかげんな死に方をしている(…中略…)ほんとうの死のあとでは、だれも立ち上がらないのだ…拍手もない…ただ沈黙があるのみ、それに死体をおおう若干の古着が…それが死だ」

 

シェイクスピアの悲劇でもハムレットは死ぬ間際に「あとは沈黙」と言って息絶えている。ハムレットが終幕でホレーシオに対して語る次の言葉をギルが聞いたら、果たしてどう思うだろうか。

 

「前兆などいちいち気にしてもはじまらぬ。雀一羽落ちるのも神の摂理。来るべきものはいま来ればあとには来ない、あとで来ないならばいま来るだろう、いまでなくても必ず来るものは来るのだ。なによりも覚悟が肝要。人間、すてるべきいのちについてなにがわかっている? とすれば、早くすてることになったとしても、それがどうだというのだ? かまうことはない。」(『ハムレット』5幕2場/小田島雄志訳・白水社)

 

       ローゼンクランツ

      

 

ローゼンクランツには子供のようなところがある。「ひどい目にあいそうな気がする」とかん高い声を出して怯え、ギルになだめられたり、ロズがハムレットに対して「こちらはなるべく本心をあかさない」と作戦を考えている時には「元気づけてやろう」とか「もっと建設的なこと」をやろうと純粋な気持ちで話している。質問ゲームをやろうと言い出すのもロズである。ギルが「おれたちの役割はもう決められたのだ。へたに動きまわると、ひと晩じゅう、おたがいに追いかけっこをすることになる。」と慎重な態度でいる時も「これにたえられるのは、だれかおもしろいのがもうすぐ出てきそうだというおかしな信念があるからだけだ」と楽天的な見方をし、気が滅入ることはあまり考えたがらない。「いっそ死んだほうがましだ」などと感情的になってしまうこともある。宮廷を出発した後は、ロズが「自分が今どこにいるのか、知りたい」と自分の存在と状況への追求の気持ちを緩めないのに対し、「自由になれる」とほっとしている。

 

       旅役者の座長

   

 

ただ者ではない気配の座長である。一座はどこから来て、ロズとギルに何を教えに来たのか。座長が語る言葉はシェイクスピアの『お気に召すまま』にあるセリフ「この世はすべて舞台。男も女もみな役者に過ぎぬ。」という世界観と重なる部分がある。虚構、演技、死などに関わる様々な演劇的命題をロズとギルに投げかけるこの座長、はたして二人を翻弄するメフィストフェレスのような悪魔なのか、それとも二人を導く妖精のような存在なのか。

 

 ハムレットほかデンマーク宮廷の登場人物

      

     

 

『ハムレット』では悩み苦しんでいた彼らも、ロズとギルが主役のこの作品では脇役として遠景に退き、各々は全体の状況を構成する一部でしかない。

 


 

    4.作者:トム・ストッパード

 

      


現代演劇を代表する劇作家の一人であるトム・ストッパード(Sir Thomas Stoppard) は1937年チェコスロバキアでユダヤ系の家系に生まれる。父親を大戦中に亡くし、戦後に再婚した相手がケネス・ストッパードという英国陸軍将校だったことからその姓を名乗るようになった。大学に進学せずに新聞や文芸誌で映画・演劇欄の批評を担当していたが、戯曲の執筆を始め、舞台、ラジオ、テレビで発表するようになる。

 

66年にエジンバラ演劇祭で上演された『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』が翌年ナショナル・シアターによって上演され、高く評価され新人作家として注目を集める。『ローゼンクランツ…』のように現実と劇の関係が逆転する作品としては『ほんとうのハウンド警部』(The Real Inspector Hound, 70)がある。ここでは二人の劇評家が観劇している推理劇の中の殺人事件に巻き込まれてしまう。『リアル・シング』(The Real Thing, 82)では、劇中劇を劇中劇だと観客に明かさずに見せる手法を取っており、ここでも現実と虚構の主題を扱っている。『アルカディア』(Arcadia, 93)では過去と現在の運命の糸が複雑に交錯する。英国の貴族の屋敷を舞台に、19世紀のと200年後の現代のドラマが交互に描かれていき、場面や人物は互いに反応しながら、繋がりの糸の強さを強めていく。

 

今世紀に入ってからの代表作には『コースト・オブ・ユートピア』(The Coast of Utopia, 2002)三部作がある。19世紀の革命前のロシアを舞台にしたさ作品で、登場人物は70人以上で合計9時間の大作である。理想の社会を夢見る若き知識人たちの挫折や成長を、チェーホフを思わせる筆致で30年以上に渡る物語として描いている。

 

テリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』(Brazil, 85)、スティーブン・スピルバーグ監督の『太陽の帝国』(Empire of the Sun, 87)、『アンナ・カレーニナ』(Anna Karenina, 12)など、映画の脚本も書いており、1990年には『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』も自身の監督・脚本で映画化している。最も有名で評価も高いのが『恋におちたシェイクスピア』(Shakespeare in Love, 90)で、シェイクスピアと少年俳優に変装した女性との恋を劇中劇の『ロミオとジュリエット』に絡ませて描き、アカデミー賞脚本賞を受賞した。

 

人生をシニカルに捉え、それをストレートに表から描かず、表と裏、過去と現在、現実と虚構などの視点を取り入れて巧みな語り口と仕掛けで見せていくのがストッパードの作劇術の基本にある。言葉遊びやおふざけのような行動や状況に笑っているうちに、いつの間にか観客は背後にある何か大きなものを突き付けられていることに気づかされる。それらは死、時間、運命、夢、諦観など様々。いずれも我々が無視できないものばかりである。サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』との類似がよく指摘される『ローゼンクランツ…』だが、『ゴドー』の二人がひたすら待ち続けるスタンスなのに対して、ストッパードの書いた二人は、もがき苦しみ、生への執着をより顕わにしている。二人の困惑、挫折と最後の覚悟に近いような余韻は不条理な世界の提示だけに終わっていない。

 

この世はすべて舞台、我々もローゼンクランツとギルデンスターンにすぎない。誰もが脇役でありながら、主役でもあり、主役でありながらも、脇役であるのだから。

 

 公演情報 (スタッフ・キャスト)等へ続く

 


 

<注釈>

『ハムレット』第2幕第2

 国王に召されたローゼンクランツとギルデンスターン

 

 *作品からの引用は小田島雄志訳(白水社)

 

クローディアスがハムレットの友人ローゼンクランツとギルデンスターンに話しかけるところから場面が始まる。

 

国王 おお、よくきた、ローゼンクランツ、

  ギルデンターン、

 ぜひとも会いたいと前々から思っていた

  ところへ、

 急に二人の力を借りねばならぬ必要に迫られ、

 いそぎ使いを出したのだ。もういくらかは

  聞いていよう、

 ハムレットはすっかり変わってしまった。

 (…中略…) しばらくのあいだ

 この宮廷にとどまり、ハムレットのそばに

  いて、

 あれの心を慰めてはくれまいか。そのうちに

 機会があればそれとなく探りをいれてもらい

  たい。

 

さらに王妃が、ハムレットの悩みの原因を探ってくれれば、「国王もお喜びになり、あなたがたに相応のお礼をするでしょう。」と付け加える。するとまず口を開くのがローゼンクランツ。

 

ローゼンクランツ 両陛下に申し上げます、

 どうかお頼みになるなどと仰せにならず、

 至上の大権をもって、お心のままに

 ご命令くださるようお願いいたします。

ギルデンスターン もちろん、われわれ両人、

  ご命令とあらば

 わが身を投げうってお心に従い、全力を

  尽くして

 ご奉公に勤めますことは、臣下としての

 喜びにほかなりません。

国王 かたじけない、ローゼンクランツ、

  ギルデンスターン。

王妃 礼を申します、ギルデンスターン、

  ローゼンクランツ。

 

この後、ギルデンスターンが「私たちがハムレット様のお心を晴らすお力になれれば」と言って、二人はいったん退場するが、ポローニアスがハムレットの様子を探った後に、再び登場。今度は二人がハムレットと問答を交わす。

 

 ハムレット 二人とも元気か?

 ローゼンクランツ まあ、並みの人間と変わらぬぐらいには。

 ギルデンスターン しあわせにすぎないのが唯一のしあわせといったところです。運命の女神の帽子についた飾り、というわけにはいきません。(…中略…)
 ハムレット 一つ質問させてもらおうか、きみたちはどんな悪事を働いたのだ、運命の女神の手によってこの牢獄に送りこまれたとは?
 ギルデンスターン 牢獄?
 ハムレット デンマークは牢獄だ。

 

さらにハムレットは正直な答えを求める。なぜエルシノアに来たのかと。ローゼンクランツは「殿下にお目にかかるためです」と答え、ギルデンスターンは「どうお答えすればいいのか」と戸惑う。そして「国王と王妃に呼ばれたな」とまで言われてしまうと、とぼけてはいられないと万事休すとなる。
 

 ローゼンクランツ (ギルデンスターンに傍白) おい、どうしよう?
 ハムレット (傍白) よし、わかったぞ、この目は節穴ではない――どうした、友人と思ってくれるなら、水くさいまねはよしてくれ。
 ギルデンスターン 殿下、実は私たち、お呼び出しを受けまして…。

 


 

 

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contents

  

    演劇学部推薦公演(2019年秋期)

   

  

    映画学部推薦作品(2019年秋期)

   

  



  

オンライン映画演劇大学は映画と

演劇を幅広く紹介、解説、研究する

オンライン上の教育・文化活動です。

文部科学省の認可は受け ていませんが、実際の大学での授業と連携した情報や研究も掲載しています。

  



  

   <9月の推薦作品>

  ・ 演劇学部推薦公演

  ・ 映画学部推薦作品

  



  

     <新着記事・講座>

  

New

・ 2019年 秋期

      観劇レポート対象作品

     が発表されました。

             (19/9/16)

New

・ 2019年 秋期

      映画レポート対象作品

     が発表されました。

             (19/9/15)

New

・ 2019年 IMDb

     外国映画ベストテン

    (資料作成: 今村直樹)

             (19/8/24)

Update

・ 2019年英米演劇上演予定

             (19/8/8)

 

・ 『英国万歳!』で

     朗読される

     『リア王』の名場面

     が掲載されました。

             (19/5/31)

 

・ 『英国万歳!』

   〜登場人物・物語の解説

     が掲載されました。

             (19/5/30)

 

・ ミュージカル

   She Loves Me のすべて

     が掲載されました。

             (19/5/5)

 

・ 映画学部主催の新講座

   アカデミー賞と

     アメリカ映画の歴史

     講座内容・予定が

     発表されました。

             (19/5/1)

 

・ オンライン映画演劇大学

     英米演劇大賞2018

    (受賞作・受賞者の発表)

 

・ オンライン映画演劇大学

     シネマグランプリ2018

    (受賞作・受賞者の発表)

 

・ 2018年 (第92回)

     キネマ旬報ベストテン

 

・ 2018年 IMDb

     外国映画ベストテン

    (資料作成: 今村直樹)

 


  

 

 

 〜優秀賞の発表と選評〜

  


  

・ 2017年 IMDb

     外国映画ベストテン

    (資料作成: 今村直樹)

  




  

<過去の主要記事・講座>

  

     【シェイクスピア学科】

  

        (講師: 広川治)

・ 講座概要・予定

・ 第1回  シェイクスピアって

                 ヤバくない?

・ 第2回  恋人たちの

                 シェイクスピア

・ 第3回  軍隊で

            シェイクスピア?

・ 第4回  アクション・スター

            がハムレット

・ 第5回  俳優たちの

                 『ハムレット』

・ 第6回  国王のための

                 名せりふ

・ 第7回  宇宙の彼方の

                 シェイクスピア

  




  

     【アメリカ演劇学科】

  

・  『エンジェルス・イン・

       アメリカ  第1部』

      (解説: 篠山芳雄)

  

・  アーサー・ミラー

  『セールスマンの死』研究

  (講師: 篠山(ささやま)芳雄)

  


  

 

  (講師: 小島真由美)

・ 講座概要

・ 作品リスト

・ 映画リスト

・ 第1回入門編

・ 第2回 『カム・ブロー・

              ユア・ホーン』

・ 第3回 『はだしで散歩』

・ 第4回 『おかしな二人』

・ 第5回

    『スウィート・チャリティ』

 原作: 映画『カビリアの夜』

          初演(1966年)

映画『スウィート・チャリティ』

                   *

・ 第6回 映画 『紳士泥棒

          大ゴールデン作戦』

・ 第7回 『星条旗娘』

・ 第8回 『プラザ・スイート』

・ 第9回 『浮気の終着駅』

・ 第10回 『ジンジャー

               ブレッド・レディ』

  




  

     【イギリス演劇学科】

  

・  ワイルド流喜劇のレシピ

      オスカー・ワイルド

      『まじめが大切』論

      (講師: 石田伸也)

  

・ テレンス・ラティガンを観る

         『深く青い海』

        (講師: 広川治)

 

・    『ローゼンクランツと

ギルデンスターンは死んだ』

      (解説: 石田伸也)

  

・   ミュージカル

    『ビリー・エリオット』

   〜英語の歌詞に見る

       団結、自由、信念〜

        (講師: 広川治)

  


  

    

      + 観劇レポートより

  




  

 【映画学部・映像文化学科】

  

・  カズオ・イシグロ

   『日の名残り』の映画化

      (講師: 篠山芳雄)

  

・ キネマ旬報ベストテン分析

      (講師: 今村直樹)

  

  <2017年夏>

     世界の映画を観る、

        映画で世界を見る

  


  

    

  




  

 (詳細な目次については

  CONTENTSページ参照)

  

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   演劇学部推薦公演

    (2019年8月)

  

   ヘンリー六世 三部作

       リチャード三世

       (カクシンハン)

作: シェイクスピア

翻訳: 松岡和子

演出: 木村龍之介

主演: 河内大和、真以美

        (7/25〜8/12)

  


  

       人形の家part2

         (パルコ)

 作: ルーカス・ナス

 翻訳: 常田景子

 演出: 栗山民也

 主演: 永作博美

        (8/9〜9/1)

  


  

    ブラッケン・ムーア

          (東宝)

作:アレクシ・ケイ・

         キャンベル

翻訳: 広田敦郎

演出: 上村聡史

主演: 岡田将生、木村多江

        (8/14〜27)

  

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 映画学部推薦作品 (新作)

  

 (2018年洋画推薦作品)

   


  

 『スリー・ビルボード』

   2/1〜  公式サイト

 『タクシー運転手

    約束は海を越えて』

   4/21〜  公式サイト

 『フロリダ・プロジェクト

     真夏の魔法』

   5/12〜  公式サイト

 『ワンダー  君は太陽』

   6/15〜  解説ページ

 『ブリグズビー・ベア』

   6/23〜  公式サイト

  


  

 『判決、

     ふたつの希望』

   8/31〜  公式サイト

 『1987、

     ある闘いの真実』

   9/8〜  公式サイト

 『バッド・ジーニアス』

   9/22〜  公式サイト

 『search サーチ』

   10/26〜  公式サイト

 『ボヘミアン・ラプソディ』

   11/9〜  公式サイト

 『アリー/ スター誕生』

   12/21〜  公式サイト

  



  

 (2019年1月推薦作品)

 『バジュランギおじさんと、

   小さな迷子』

   1/18〜  公式サイト

  


  

 (2019年2月推薦作品)

 『メリー・ポピンズ

     リターンズ』

   2/1〜  公式サイト

 『女王陛下のお気に入り』

   2/15〜  公式サイト

  


  

 (2019年3月推薦作品)

 『グリーンブック』

   3/1〜  公式サイト

 『ブラック・クランズマン』

   3/22〜  公式サイト

  


  

 (2019年4月推薦作品)

 『僕たちのラストステージ』

   4/19〜  公式サイト

 『幸福なラザロ』

   4/19〜  公式サイト

  


  

 (2019年5月推薦作品)

 『ドント・ウォーリー』

   5/3〜  公式サイト

 『僕たちは希望という

      名の列車に乗った』

   5/17〜  公式サイト

  


  

 (2019年6月推薦作品)

 『SANJU/サンジュ』

   6/15〜  公式サイト

 『パピヨン』

   6/21〜  公式サイト

  


  

 (2019年7月推薦作品)

 『COLD WAR

      あの歌、2つの心』

   6/28〜  公式サイト

 『Girl/ガール』

   7/5〜  公式サイト

  


  

 (2019年8月推薦作品)

『存在のない子供たち』

   7/20〜  公式サイト

 『シークレット・

      スーパースター』

   8/9〜  公式サイト

  

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