『英国万歳!』
- 2019.05.30 Thursday
- 00:46
ナショナル・シアター・ライブ
『英国万歳!』
The Madness of King George III
(Nottingham Playhouse, 2018)
〜主な登場人物・物語の解説〜
【解説】
アラン・ベネット作『ジョージ三世の狂気』は1991年にロンドンのナショナル・シアターで上演された。この時に国王を演じたナイジェル・ホーソンの演技は大きな反響を呼び、演出家ニコラス・ハイトナーが監督を務め、アラン・ベネット自身の脚色で映画化された。ホーソンはアカデミー賞で主演男優賞にノミネートされ、助演女優賞(王妃役のヘレン・ミレン)、脚色賞、美術賞の候補にもなり、美術賞を受賞した。英国アカデミー賞ではホーソンが主演男優賞を受賞し、カンヌ国際映画祭ではヘレン・ミレンが女優賞に選ばれている。この映画化(原題The Madness of King George)の邦題が「英国万歳!」であったことから、今回のノッティンガム・プレイハウスの公演のナショナル・シアター・ライブのタイトルも「英国万歳!」となった。
注目は今回のリバイバル(演出:アダム・ペンフォード)でも、やはり国王役の演技である。今回ジョージ三世を演じるのは、人気テレビドラマ・シリーズ「シャーロック」で、シャーロック・ホームズ(ベネディクト・カンバーバッチ)の兄マイクロフトを演じているマーク・ゲイティス。彼は「シャーロック」のプロデューサーでもあり、共同脚本家の一人でもある。ナショナル・シアター・ライブでも以前上映された『コリオレイナス』(2014)でコリオレイナス(トム・ヒドルストン)の友人メニーニアス役を演じ、WhatsOnStage Awards の助演男優賞を受賞している。(石田伸也)
(左) マーク・ゲイティス
(右) ベネディクト・カンバーバッチ
(右) トム・ヒドルストン
主な登場人物
* 台詞の引用はAlan Bennett, The Madness of George III (1992, faber & faber)より、舞台写真はすべてノッティンガム・プレイハウスのManuel Harlan氏によるもの。
国王ジョージ三世
Photos: Manuel Harlan
ヘンデルの音楽と共に国王と王室一家が威風堂々と登場。国民の歓声に応えて手を振っている。だが突然、嘆願書を手にした女性がナイフを国王に突きつける。「私に土地を!私には権利があるわ!」と叫ぶ女。
EQUERRIES: Back! Back! Hold her! Is Your Majesty
hurt?
QUEEN: Sir! Sir!
女は取り押さえられ、幸い国王に怪我はなく、むしろ王は侍従たちに女を「乱暴に扱ってはいかん」と気づかいを示し、騒ぎは収まる。この対応からジョージ三世が必ずしも傍若無人に振る舞う君主ではなかったことが分かり、後の発狂場面の言動との対照が際立つことになる。しかし大法官(Lord Chancellor)のサーロウが「もしあの女が狂っているようなら、精神病院に収監させます」と報告しているあたり、後に始まる王の狂乱を予兆しているような皮肉な開幕場面でもある。
ジョージ三世(1738〜1820)が即位したのは22歳の時。この作品で描かれている1788年の発狂の時は50歳。その錯乱状態は今で言う認知症のような症状だが、その病因には諸説ある。この作品で描かれている時代以降、いったん治まった発作は数回再発したという。
(左) 皇太子ウエールズ王子 (右) ジョージ三世
ジョージ三世と王妃の間には15人の子供たちがいた。だが国王は悠々自適の独身生活を謳歌している放蕩息子の皇太子(Prince of Wales)に不満を抱いていた。皇太子には嘆願女性の騒ぎを見て「どう思われても仕方がない事態だ」とヨーク公(Duke of York)にもらす。すると国王は「何だと?」とイラつくが、皇太子は「父上にお怪我がなくて良かったと軽くかわす。だが王妃は息子の本音を見抜いており「‟良かった″なんて、よくお前の口から出てきたものね」と非難する。国王は皇太子を「お前が太っているのは、勉強不足のせいだ」と言い、自分が農業を研究し、国民から農夫のジョージと呼ばれ慕われていることを自慢する。この親子関係の不和は後に政治がらみの対立の図式へと発展していくのであった。
(左) ピット首相 (右) フォックス
国王が信頼を寄せていたのは、ピット首相だった。王はピットの財政政策を褒める。逆に改革派でピットの政敵であった議員フォックスを王は嫌っていた。ウィリアム・ピット(1759〜1806/在任=1783〜1801、1804〜1806)は英国史上最も若い24歳という年齢で首相に就任した政治家で、父親ピット(通称大ピットでウィリアムは小ピットと呼ばれた)と同様、名宰相の誉れが高かった。劇中で王はピットに「男は結婚すべきだ」と助言しているが、実際は生涯独身のままで過ごした政治家だった。
シャーロット王妃
国王夫妻はおしどり夫婦だった。他の国王と違って愛人を作ることなく妻と子供たちに愛情を注いでいた。シャーロット王妃はそんな王を愛し、良き妻として彼を支え続けていた。それだけに王の健康状態の悪化や、劇後半で描かれている王と離れて暮らす日々は余計につらいものになっていく。
KING: When we get this far I call it dandy, hey?
QUEEN: Indeed, Mr King.
侍医ベイカー
王は就寝の際に激しい腹痛を訴え、侍医のベイカーが呼び寄せられる。だがベイカー医師が到着した時には王の痛みも治まっていた。ベイカーは国王の威厳の前では委縮するばかりの滑稽な役柄である。「ああ、ベイカー、ヤブ医者が来たな」と言われても、彼は戸惑って緊張するばかりで脈を測る手も思わず震えてしまう。
KING: How is my pulse?
BAKER: It’s very fast, sir.
侍従のフィッツロイとグレヴィル
ノッティンガム・プレイハウスの公演では、医師や政治家の多くの男性役が女優によって演じられているが、フィッツロイ役はナディア・アルビーナという片腕に障害がある女優が演じている。女優や障害者を積極的に起用していく方針があるのかもしれない。侍従の役柄に特別な意味を持たせるための配役ではないようだ。フィッツロイは常に侍従として冷静に事に対処しようとしている。
侍従になり立てのグレヴィルは、王の腹痛の具合をベイカー医師に尋ねられた際には「ご自身で直接陛下にお伺いになっては」と提言するが、「私の方から何かを尋ねるなんて許されるとでも思っているのか」と叱責されてしまう。するとグレヴィルは「何だかんだ言っても、国王だって人間です」(Whatever his situation His Majesty is but a man.)と反論する。この単純明快な一侍従の言葉こそ、アラン・ベネットが描いている世界ではないだろうか。
従者たち
国王の奇行が目立つようになってくる。まずその異常な言動に振りまわされるのは、従者たち。夜明け前だというのに、たたき起こされ、身支度をさせられ、王はというと「ブラウン! フォトナム! パペンディック!」と彼らの名前を叫んで起きてきたにもかかわらず、「お前の名前は?」と聞く始末。挙句の果てに従者たちは共に祈れと命じられてしまう。
KING: Say after me − Our Father, which art in
heaven…
王の小水が入った尿瓶を運ぶ従者のフォトナムは小水が空色だと気づき、侍従のフィッツロイに報告する。「あのようなご様子になってからは、この色です」と言うが、「あのようなご様子だと? 余計なことを口にするな。」とフィッツロイは彼を叱り、尿瓶を取り上げる。冷静な態度しか見せないフィッツロイだが、事の重大さには誰よりも深刻に受け止めているようである。
FORTNUM: It’s been this colour since this
business began.
FITZROY: What business? Don’t be insolent.
サーロウ大法官
かつて大法官(Lord Chancellor)は、国王の宰相的な役割も果たして最高の権力を有していた。ロバート・ボルトの戯曲(1960)およびその映画化(66)「わが命つきるとも」の主人公トマス・モアや、哲学者でもあったフランシス・ベーコンが有名である。ジョージ三世の治世でも、大法官は貴族院議長と最高裁判所長官の職務を果たしており、絶大な権力を握っていた。だがこの劇に登場するエドワード・サーロウ大法官(1731〜1806)が登場人物として最も重要な役割を果たすのは、案外、劇終盤で国王がシェイクスピアの『リア王』を朗読する際、朗読相手として王の娘コーディリアのセリフを朗読する時にあるのかもしれない。朗読される『リア王』については「アラン・ベネット作『英国万歳!』で朗読される『リア王』の名場面」のページを参照してほしい。
侍医たちに打つ手がなくなった時に呼ばれるウィリス医師は、国王だろうと誰であろうと容赦しない。患者(=patient)の身体拘束は現代でも大きな問題だが、これを残虐な拷問と見るか、それとも躾(しつけ)のような治療の一つとして解釈すべきなのかは、議論を呼ぶところだろう。
KING: I am the King of England!
WILLIS: No, sir. You are the patient!
このウィリスの言葉で第1幕が終わるが、第2幕には国王ジョージの「私は患者でない」(I am
not the patient.)という台詞も用意されている。
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