ローゼンクランツと
ギルデンスターンは死んだ
ナショナル・シアター・ライブ
作:トム・ストッパード (初演1966年)
原題:
Rosencrantz & Guildenstern Are Dead
今回の再演:2018年2月〜5月
(オールド・ヴィック劇場)
演出:デヴィッド・ルヴォー
【キャスト】
ダニエル・ラドクリフ
…ローゼンクランツ
ジョシュア・マグワイア
…ギルデンスターン
ルーク・マリンズ
…ハムレット
デヴィッド・ヘイグ
…旅芸人
上映期間:5/25 (金) 〜31 (木)
上映館:TOHOシネマズ日本橋ほか
上映時間:2時間30分 (休憩20分含む)
<目次>
1. 解説
2. 予備知識:『ハムレット』のあらすじ
3.『ローゼンクランツとギルデンスタ
ーンは死んだ』物語と登場人物
(1) あらすじ
(2) 各幕の内容
(3) 登場人物
4. 作者:トム・ストッパード
5. キャスト/スタッフ
6. 映画化(1990年)
監督・脚色:トム・ストッパード
主演:ゲイリー・オールドマン
ティム・ロス
7. 日本での上演
生瀬勝久・古田新太主演
生田斗真・菅田将暉主演など
1.解 説
トム・ストッパードの『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を楽しむ方法は二つある。一つは何の予備知識もなしで観る方法。シェイクスピアの書いた『ハムレット』の世界を脇役二人の視点から描いているのだから、事前学習が絶対に必要かというと案外そうでもない。基本的にこの作品は喜劇なので、とにかく二人の妙なやり取りのおかしさを楽しめばいいのである。実際、昨年日本で上演された生田斗真(ローゼンクランツ)と菅田将暉(ギルデンスターン)主演の舞台では、二人のセリフや仕草の一つ一つに観客が笑い、これが不条理劇と呼ばれた作品とは思えないほど親しみやすい舞台に仕上がっていた。むしろ、デンマーク王に召されて、何が何だか分からないまま宮廷をさまよう二人が抱える不安、もどかしさのようなものを共有できるという意味では、へたに『ハムレット』に詳しくなるよりは何も知らない方が自然な鑑賞方法だと言える。ただし『ハムレット』の多少の予備知識があれば、作品を客観的に眺めることができ、別の次元で作者の巧妙な仕掛けに唸らされる部分がある事も事実である。
ローゼンクランツとギルデンスターンはシェイクスピアの『ハムレット』の端役二人。先王である父親の亡霊に命じられ、現国王である叔父への復讐を果たそうとするハムレットの物語の中で、ローゼンクランツとギルデンスターンは国王に命じられハムレットの様子を探ることになる。二人はハムレットの旧友らしいが、特別にハムレットの思い入れがある親友ではない。若きデンマークの王子は二人に心の内を明かすことはなく、むしろ最初から彼らの背後にいる叔父クローディアスの空気を感じ取っている。
『ハムレット』についてさらに詳しく知りたい、あるいは思い出しておきたいという人のためにここで作品を概観してみたい。ローゼンクランツとギルデンスターンが呼び寄せられたデンマークの宮廷にはどんな表のドラマがあったか、そしてマイナーなキャラクターである二人はどこでどのように登場していたか、ここで整理してみることにする。以下のあらすじでは、カラーの登場人物が『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』にも登場する。(石田伸也・演劇学部教授)
2.予備知識
『ハムレット』のあらすじ
第1幕
第1場(亡霊の出現)
デンマークのエルシノア城に死んだばかりの先王の亡霊が出現する。
第2場(戴冠式のあとで)
王子ハムレットが言い知れぬ悲しみに沈んでいる。父親が死んだばかりでなく、叔父のクローディアスが母親のガートルードと再婚し、王位についたからだ。
第3場(オフィーリア)
ハムレットが愛するオフィーリアの登場。彼女の兄レアティーズが留学先のフランスへ出発する。兄も父親のポローニアスもハムレットとオフィーリアの交際を快く思っていない。
第4場/第5場(復讐の誓い)
ハムレットが父親の亡霊に遭遇する。亡霊はクローディアスに毒殺されて王位も王妃も奪われたと語り、復讐を息子に命じる。ハムレットは復讐を果たすために狂気を装い、叔父の動向を探ることにする。
第2幕
第1場(ハムレットの狂気)
変貌したハムレットの異様な様子を動揺したオフィーリアが父親に報告する。これを聞いたポローニアスは恋ゆえの狂気と思い込み、大臣として国王に報告せねばと考える。
第2場(狂気の原因を探る)
クローディアスはハムレットの友人であるローゼンクランツとギルデンスターンを呼び寄せて狂気の原因を探らせる。二人はハムレットに接するがはぐらかされるばかりで、しまいには問い詰められて自分たちが王と王妃に呼ばれたことを白状してしまう。(この場面の詳細と主要な台詞はこちら ⇒ 国王に召されたローゼンクランツとギルデンスターン)
旅役者の一行が到着する。ハムレットは王の良心を刺激する芝居を上演し、反応を観察することにする。
第3幕
第1場(生きるべきか死ぬべきか)
ローゼンクランツとギルデンスターンはクローディアスと王妃からハムレットの様子はどうだったかと尋ねられる。クローディアスとポローニアスはハムレットにオフィーリアと話をさせる場を仕掛け、物陰でその様子を伺うことにする。ハムレットが “To be or not to be”(生きるべきか死ぬべきか)と冥想的な独白を語りながら登場する。おとりに使われているオフィーリアに対しては「尼寺へ行け」と非難を暗示するような語句を何度も繰り返す。オフィーリアは泣き崩れてしまう。
第2場(芝居の上演)
王の御前で国王毒殺の芝居が上演される。クローディアスは芝居を観てたじろぎ、上演を中止させる。
第3場(罪の許しを祈るクローディアス)
クローディアスが1人で罪の許しを祈る。ハムレットは復讐の絶好の機会と考えるが、祈りの最中は最適ではないと判断して思い留まる。
第4場(ポローニアスを刺殺/ガートルードを非難)
ハムレットは母親の部屋の物陰に隠れていて様子を伺っていたポローニアスを叔父と思って刺し殺してしまう。怯える母親に対してハムレットは叔父との結婚の非難の言葉を浴びせるが、父親の亡霊が登場し、諫められる。
第4幕
第1場(ポローニアスの死体を探せ)
クローディアスはローゼンクランツとギルデンスターンにハムレットを見つけ、ポローニアスの死体を礼拝堂におさめるよう命じる。
第2場(死体のありか)
ローゼンクランツとギルデンスターンはハムレットに死体のありかを尋ねるが、相手にされない。
第3場(イギリス行き)
ローゼンクランツとギルデンスターンがクローディアスの前にハムレットを連れてくる。ハムレットはイギリス行きとなり、二人は同行を命じられる。
第4場(ハムレットの新たな決意)
ローゼンクランツとギルデンスターンが同行するイギリスへの旅の途上、デンマークの平野でハムレットがノルウェー王フォーティンブラス率いる軍隊を眺める。名誉のために戦地に向う国王と自分を比べ、復讐を果たせないでいる自分を情けなく思い、決意を新たにする。
第5場(発狂したオフィーリア)
父親の死後に発狂したオフィーリアが歌を口ずさみながら国王、王妃らの前に現れる。帰国した兄レアティーズもその姿を目撃し唖然とする。
第6場(ハムレットからの手紙)
ハムレットからの手紙が親友ホレーシオの元へ届く。海賊船に襲われて一人だけ捕虜となったが手厚くもてなされたこと、ローゼンクランツとギルデンスターンはイギリスへの旅を続けていることが伝えられる。
第7場(ハムレット謀殺計画/オフィーリアの死)
クローディアスはレアティーズを焚きつけてハムレットと剣の試合をさせようとする。二人は剣先に毒を塗り、王子の命を奪う計略をめぐらす。
そこへ王妃ガートルードが現れ、オフィーリアが川で溺死したことを伝える。
第5幕
第1場(墓場)
歌を口ずさみながら墓を掘っているのんきな墓掘りに帰国したハムレットが話しかけ、死について思いをめぐらせる。そこへオフィーリアの亡骸が運ばれる。亡骸を前にしてレアティーズはハムレットにつかみかかり、二人は激しく対立する。
第2場(イギリス王への親書/レアティーズとの対決)
ハムレットが親友ホレーシオに旅の船中での出来事を語る。クローディアスがイギリス王へ宛てた親書の文面をこっそり盗み見ると「即刻、ハムレットの首をはねよ」と書いてあったので、親書を偽造して「手紙の持参者二名の首をはねよ」と書き改めたのだと。ハムレットはローゼンクランツとギルデンスターンに対して良心のとがめはない。
クローディアスは剣の試合を観戦中にハムレットに毒入りの杯を飲ませようとするが、ガートルードが飲んでしまい、彼女は倒れる。ハムレットは毒の剣に傷つくが、奪った剣でレアティーズにも毒入りの剣の一撃が加えられる。倒れたレアティーズから毒殺の計略を告白されたハムレットは、国王を刺し、さらに毒入りの杯の残りを飲ませ、復讐を遂げて息絶える。
イギリスからの使節が来訪し、ローゼンクランツとギルデンスターンの死を伝える。同時に来訪したノルウェー王フォーティンブラスが屍の山に驚き、ハムレットを武人らしく丁重に弔うよう部下に命じる。
3. 『ローゼンクランツとギルデンスターンは
死んだ』〜物語と登場人物
(1) あらすじ
国王の使者に命じられて宮廷へ向かっているローゼンクランツとギルデンスターンが投げ銭の賭けをしている。ところが何度やっても出るのは「おもて」ばかり。二人はこのあり得ない現象に驚いている。宮廷に着くと二人は国王と王妃から王子ハムレットの狂気の原因を探ってほしいと頼まれる。しかしハムレットにはまともに相手にされず、出たり入ったりの宮廷の騒動に翻弄されるばかり。自分たちの先の読めない状況や死について語り合ったり、旅の道中に出会った旅芸人一座の座長と再会して彼らの舞台稽古を見たりするが、騒動が収まるとハムレットをイギリスへ連れて行く役目を担わされる。イギリスへ向かう船の中で二人は国王がイギリス王に宛てて書いた親書を開封し読んでしまう。そこには「ハムレットの首を即刻はねよ」と書かれていた。再び旅役者たちが現れる。だが船は海賊に襲われ、ローゼンクランツとギルデンスターンと座長のみ船に取り残される。最後に二人は実際に自分たちが迎えようとしている運命の真実を知ることになる。
(2) 各幕の内容
*作品は全3幕からなる。内容はロンドン初演時のテキストに基づく。今回のオールド・ヴック劇場での上演では、約2時間30分のうち、第2幕の途中までで前半第1幕(約90分)とし、20分の休憩後の残り約40分を第2幕としている。グリーンの部分は『ハムレット』にある場面。引用は『今日の英米演劇5』所収の倉橋健訳。
第1幕 (コインはいつも“おもて”のみ)
ギルデンスターン(以降“ギル”)がコインをはじいて落とし、ローゼンクランツ(以降“ロズ”)がそれを調べるという投げ銭の賭けをしている。ところが何度やっても出るのは「おもて」ばかり。ギルはこのあり得ない現象を不思議に思うが、ロズは「連続85回。記録やぶりだ」などと喜んでいる。二人はどうやら国王の使者に言われて宮廷へ向かっているようである。
ギルデンスターン(左)とローゼンクランツ
Photo: Manuel Harlan
彼らの前に旅芸人の一座が現れる。二人は座長に得意の出し物の場面を見せてくれと頼み、いよいよこれから上演されるのかと思っていると「もう始まっている」と座長は言って立ち去る。
しばらくすると恋人のオフィーリアを追いかけてデンマーク王子ハムレットが登場。ハムレットは青ざめた悲しい様子で何も言わずに彼女を見つめるが、しばらくすると二人とも立ち去ってしまう。(これは『ハムレット』2幕1場でオフィーリアが父親に報告するハムレット錯乱の様子。ただし本来ロズとギルはこの場にはいない。)ロズとギルは唖然として立ちつくすばかり。すると今度は国王クローディアスと王妃ガートルードが登場し、ロズとギルはハムレットの狂気の様子を探ってもらいたいと頼まれる。(『ハムレット』2幕2場の冒頭)
ロズとギルは何とも言いがたい不安にかられ、ロズは「とんだ深みにはまって、ひどい目にあいそうな気がする。虫の知らせだ、死の知らせだ」と恐れる。二人が質問文の形式のみで会話するルールの質問ゲームを始め、気を紛らわせていると、ハムレットが本を読みながら黙って舞台を横切る。ロズとギルはハムレットと話す時のための予行演習を始め、再び現れたハムレットに二人は話しかける。
第2幕 (デンマークの宮廷を右往左往)
ハムレットとの会話の続き。(『ハムレット』でロズとギルにハムレットが「デンマークという牢獄に送りこまれたな」と語る会話の内容はここでは意図的に省略されており、のちのロズとギルの会話の話題になっている。)二人きりになるとロズとギルはハムレットの様子、自分たちの運命について議論する。
するとハムレットと旅芸人の一座が登場。ハムレットは翌日「ゴンザーゴ殺し」を王の前で上演するよう指示をする。ロズとギルと再会した座長が自分たちは置き去りにされたと憤慨した様子を見せる。座長が退場すると、二人は死について思いをめぐらす。
ギル(左)とロズ Photo: Alastair Muir
国王と王妃らが登場。ロズとギルはハムレットの様子について尋ねられる。 (『ハムレット』3幕1場) さらに、ハムレットが短剣でひと思いに突き刺すことの是非を考えながら登場したり、オフィーリアがハムレットに非難の言葉を浴びせられ泣き出してしまうなど、立て続けに出たり入ったりの騒動にロズとギルは翻弄されるばかりである。(ただし『ハムレット』では独白やオフィーリアとの場に二人は登場していない。)
ロズとギルの前で役者たちが舞台稽古を始める。演目は様式化された無言劇で、先王である父親を毒殺したのが本当にクローディアスであるのか、ハムレットが御前で上演し反応を見て確証を得ようとしているものである。だが国王毒殺の場のあとには、ハムレットによってポローニアスが刺され、その結果彼はイギリスに送られ…という『ハムレット』の後半の物語を暗示するような劇に変わる。芝居の幕切れはロズとギルのような二人がイギリスで処刑される姿。ロズとギルは死の恐怖を感じながらも、演じられた死というものに現実を読み取ることを拒否する。舞台裏からは芝居を観て動揺したクローディアスが上演の中止を命じる声と宮廷の騒ぎが聞こえてくる。(『ハムレット』3幕2場)
今回の2幕構成の上演では、ここまでを第1幕として休憩が入る。
旅芸人の役者と座長
Photo: Manuel Harlan
クローディアスはロズとギルに、ハムレットに刺し殺されてしまったポローニアスの死体を礼拝堂に運ぶよう命じる。二人はハムレットに死体のありかを問いただすが相手にされない (『ハムレット』4幕1場〜3場)。 クローディアスに国外へ追いやられことになったハムレットはロズとギルと共にイギリスへ向かって旅をする (『ハムレット』4幕4場)。 ハムレットをイギリスへ連れて行く役目にあるロズとギルは、旅の途上、いつまでも捉えることができない自分たちの状況について苦渋の思いを語り合う。
第3幕 (イギリスに向かう船の中)
船中のロズ(左)とギル
Photo: Alastair Muir
ロズとギルの不安はますます強くなる。ギルはクローディアスがイギリス王宛てに書いた書状を預かっていた。二人はその封を破り開封して唖然とする。即刻ハムレットの首をはめるように指示されていたからだ。だがロズとギルが眠りについた深夜、ハムレットは密かに手紙を抜き取り、しばらくすると元に返す。(この行為は『ハムレット』では5幕2場でホレーシオに語られる)
船に置かれていた樽から座長および一座の役者たちが現れる。王を怒らせてしまったので逃げ出し、隠れていたのだという。そこへ海賊が襲撃してくる。(『ハムレット』では海賊の襲撃は4幕6場のホレーシオへの手紙の中で言及されるのみ)
ロズとギルと座長の3人だけが船に取り残される。ハムレットがいなくなった今、ロズとギルはイギリス到着時の説明の言葉を考えざるを得ない。二人は改めて手紙を開封し、そこに「ローゼンクランツとギルデンスターンをただしに死刑に処すように」と書かれてあるのを見て愕然とする。するといなくなったはずの役者たちが再び現れ、座長と共に二人を囲み、不気味な円を作る。ギルは座長のベルトから短剣をひったくり彼を刺してしまうが、剣は偽物だった。
座長は死というものは演技だと主張し、再び無言劇で『ハムレット』のいくつもの死の場面を二人に見せるが、ギルは「死はロマンチックな幕切れではない」とイラついて反論する。ロズは「太陽が沈むのか、地球が上がってくるのか、どっちだって変わりはない」と開き直る。やがて二人の姿は消えていく。イギリスの使節が登場し「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」と報告する。ハムレットの親友ホレイショーの『ハムレット』を締めくくるセリフで劇は終わる。(『ハムレット』5幕2場)
(3) 登場人物
ギルデンスターン
シェイクスピアの『ハムレット』ではどっちがどっちだか分からないような二人だが、ストッパードは明確に二人を描き分けている。おもてばかり出続けるコインに対してギルは何かがおかしいと懐疑的だが、ロズは「今日はついていないらしいな。」などと無邪気に考えている。ギルは人生や世界に公式を求めて「始まりはただ一つ、生まれということであり、終わりもただ一つ、死あるのみ」などと発言する。案外、ギルはハムレットに近い性格と言えるかもしれない。ギルの言葉にはハムレットの独白に見られるような瞑想的に語られる真実の瞬間がある。演技というかたちで死を表現しようとする座長に対して、ロズは現実的な死の見方を披露している。
「おまえは何千回となく、いいかげんな死に方をしている(…中略…)ほんとうの死のあとでは、だれも立ち上がらないのだ…拍手もない…ただ沈黙があるのみ、それに死体をおおう若干の古着が…それが死だ」
シェイクスピアの悲劇でもハムレットは死ぬ間際に「あとは沈黙」と言って息絶えている。ハムレットが終幕でホレーシオに対して語る次の言葉をギルが聞いたら、果たしてどう思うだろうか。
「前兆などいちいち気にしてもはじまらぬ。雀一羽落ちるのも神の摂理。来るべきものはいま来ればあとには来ない、あとで来ないならばいま来るだろう、いまでなくても必ず来るものは来るのだ。なによりも覚悟が肝要。人間、すてるべきいのちについてなにがわかっている? とすれば、早くすてることになったとしても、それがどうだというのだ? かまうことはない。」(『ハムレット』5幕2場/小田島雄志訳・白水社)
ローゼンクランツ
ローゼンクランツには子供のようなところがある。「ひどい目にあいそうな気がする」とかん高い声を出して怯え、ギルになだめられたり、ロズがハムレットに対して「こちらはなるべく本心をあかさない」と作戦を考えている時には「元気づけてやろう」とか「もっと建設的なこと」をやろうと純粋な気持ちで話している。質問ゲームをやろうと言い出すのもロズである。ギルが「おれたちの役割はもう決められたのだ。へたに動きまわると、ひと晩じゅう、おたがいに追いかけっこをすることになる。」と慎重な態度でいる時も「これにたえられるのは、だれかおもしろいのがもうすぐ出てきそうだというおかしな信念があるからだけだ」と楽天的な見方をし、気が滅入ることはあまり考えたがらない。「いっそ死んだほうがましだ」などと感情的になってしまうこともある。宮廷を出発した後は、ロズが「自分が今どこにいるのか、知りたい」と自分の存在と状況への追求の気持ちを緩めないのに対し、「自由になれる」とほっとしている。
旅役者の座長
ただ者ではない気配の座長である。一座はどこから来て、ロズとギルに何を教えに来たのか。座長が語る言葉はシェイクスピアの『お気に召すまま』にあるセリフ「この世はすべて舞台。男も女もみな役者に過ぎぬ。」という世界観と重なる部分がある。虚構、演技、死などに関わる様々な演劇的命題をロズとギルに投げかけるこの座長、はたして二人を翻弄するメフィストフェレスのような悪魔なのか、それとも二人を導く妖精のような存在なのか。
ハムレットほかデンマーク宮廷の登場人物
『ハムレット』では悩み苦しんでいた彼らも、ロズとギルが主役のこの作品では脇役として遠景に退き、各々は全体の状況を構成する一部でしかない。
4.作者:トム・ストッパード
現代演劇を代表する劇作家の一人であるトム・ストッパード(Sir Thomas Stoppard) は1937年チェコスロバキアでユダヤ系の家系に生まれる。父親を大戦中に亡くし、戦後に再婚した相手がケネス・ストッパードという英国陸軍将校だったことからその姓を名乗るようになった。大学に進学せずに新聞や文芸誌で映画・演劇欄の批評を担当していたが、戯曲の執筆を始め、舞台、ラジオ、テレビで発表するようになる。
66年にエジンバラ演劇祭で上演された『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』が翌年ナショナル・シアターによって上演され、高く評価され新人作家として注目を集める。『ローゼンクランツ…』のように現実と劇の関係が逆転する作品としては『ほんとうのハウンド警部』(The Real Inspector Hound, 70)がある。ここでは二人の劇評家が観劇している推理劇の中の殺人事件に巻き込まれてしまう。『リアル・シング』(The Real Thing, 82)では、劇中劇を劇中劇だと観客に明かさずに見せる手法を取っており、ここでも現実と虚構の主題を扱っている。『アルカディア』(Arcadia, 93)では過去と現在の運命の糸が複雑に交錯する。英国の貴族の屋敷を舞台に、19世紀のと200年後の現代のドラマが交互に描かれていき、場面や人物は互いに反応しながら、繋がりの糸の強さを強めていく。
今世紀に入ってからの代表作には『コースト・オブ・ユートピア』(The Coast of Utopia, 2002)三部作がある。19世紀の革命前のロシアを舞台にしたさ作品で、登場人物は70人以上で合計9時間の大作である。理想の社会を夢見る若き知識人たちの挫折や成長を、チェーホフを思わせる筆致で30年以上に渡る物語として描いている。
テリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』(Brazil, 85)、スティーブン・スピルバーグ監督の『太陽の帝国』(Empire of the Sun, 87)、『アンナ・カレーニナ』(Anna Karenina, 12)など、映画の脚本も書いており、1990年には『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』も自身の監督・脚本で映画化している。最も有名で評価も高いのが『恋におちたシェイクスピア』(Shakespeare in Love, 90)で、シェイクスピアと少年俳優に変装した女性との恋を劇中劇の『ロミオとジュリエット』に絡ませて描き、アカデミー賞脚本賞を受賞した。
人生をシニカルに捉え、それをストレートに表から描かず、表と裏、過去と現在、現実と虚構などの視点を取り入れて巧みな語り口と仕掛けで見せていくのがストッパードの作劇術の基本にある。言葉遊びやおふざけのような行動や状況に笑っているうちに、いつの間にか観客は背後にある何か大きなものを突き付けられていることに気づかされる。それらは死、時間、運命、夢、諦観など様々。いずれも我々が無視できないものばかりである。サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』との類似がよく指摘される『ローゼンクランツ…』だが、『ゴドー』の二人がひたすら待ち続けるスタンスなのに対して、ストッパードの書いた二人は、もがき苦しみ、生への執着をより顕わにしている。二人の困惑、挫折と最後の覚悟に近いような余韻は不条理な世界の提示だけに終わっていない。
この世はすべて舞台、我々もローゼンクランツとギルデンスターンにすぎない。誰もが脇役でありながら、主役でもあり、主役でありながらも、脇役であるのだから。
⇒ 公演情報 (スタッフ・キャスト)等へ続く
<注釈>
『ハムレット』第2幕第2場
国王に召されたローゼンクランツとギルデンスターン
*作品からの引用は小田島雄志訳(白水社)
クローディアスがハムレットの友人ローゼンクランツとギルデンスターンに話しかけるところから場面が始まる。
国王 おお、よくきた、ローゼンクランツ、ギルデンターン、ぜひとも会いたいと前々から思っていたところへ、急に二人の力を借りねばならぬ必要に迫られ、いそぎ使いを出したのだ。もういくらかは聞いていよう、ハムレットはすっかり変わってしまった。
(…中略…)
しばらくのあいだこの宮廷にとどまり、ハムレットのそばにいて、あれの心を慰めてはくれまいか。そのうちに機会があればそれとなく探りをいれてもらいたい。
さらに王妃が、ハムレットの悩みの原因を探ってくれれば、「国王もお喜びになり、あなたがたに相応のお礼をするでしょう。」と付け加える。するとまず口を開くのがローゼンクランツ。
ローゼンクランツ 両陛下に申し上げます、どうかお頼みになるなどと仰せにならず、至上の大権をもって、お心のままにご命令くださるようお願いいたします。
ギルデンスターン もちろん、われわれ両人、ご命令とあらばわが身を投げうってお心に従い、全力を尽くしてご奉公に勤めますことは、臣下としての喜びにほかなりません。
国王 かたじけない、ローゼンクランツ、ギルデンスターン。
王妃 礼を申します、ギルデンスターン、ローゼンクランツ。
この後、ギルデンスターンが「私たちがハムレット様のお心を晴らすお力になれれば」と言って、二人はいったん退場するが、ポローニアスがハムレットの様子を探った後に、再び登場。今度は二人がハムレットと問答を交わす。
ハムレット 二人とも元気か?
ローゼンクランツ まあ、並みの人間と変わらぬぐらいには。
ギルデンスターン しあわせにすぎないのが唯一のしあわせといったところです。運命の女神の帽子についた飾り、というわけにはいきません。(…中略…)
ハムレット 一つ質問させてもらおうか、きみたちはどんな悪事を働いたのだ、運命の女神の手によってこの牢獄に送りこまれたとは?
ギルデンスターン 牢獄?
ハムレット デンマークは牢獄だ。
さらにハムレットは正直な答えを求める。なぜエルシノアに来たのかと。ローゼンクランツは「殿下にお目にかかるためです」と答え、ギルデンスターンは「どうお答えすればいいのか」と戸惑う。そして「国王と王妃に呼ばれたな」とまで言われてしまうと、とぼけてはいられないと万事休すとなる。
ローゼンクランツ (ギルデンスターンに傍白) おい、どうしよう?
ハムレット (傍白) よし、わかったぞ、この目は節穴ではない――どうした、友人と思ってくれるなら、水くさいまねはよしてくれ。
ギルデンスターン 殿下、実は私たち、お呼び出しを受けまして…。