2019年観劇レポートより
- 2020.02.18 Tuesday
- 17:06
「ハムレット」 BUNKAMURA
「岡田将生演じるハムレットの人格の豹変には圧倒された。憎しみや殺意、愛情、すべてを垂れ流すかのような演技が心に刺さった。」
「父親の死の真相を探るべく狂気を装ったハムレットの髪の色は白く、顔にも白いペイントが施されていた。ハムレットは独白などで感情の揺れを表現しなくてはならないシーンが多くあり、岡田将生はそれを見事に演じていたと思う。言葉の発し方もとても説得力のあり、ハムレットの苦悩がよく伝わってきた。」
「岡田将生は完璧なハムレットだった。テレビで見る岡田将生とは違いすぎて、最初登場した時は気づかなかったくらいだ。狂気の演技と、触れると崩れてしまいそうに儚い繊細な演技の使い分けが非常に上手で、目が離せなかった。復讐を決意してからの演技は、セリフ一つ一つから憎しみや哀しみが滲み出ていて、ハムレットの心情を訴える力強い表情も忘れられない。」
「黒木華はどこからみても華麗で、完璧な美しさを表現していた。狂ってもなお美しさを保っていたのが印象的で、彼女が舞台にいるだけで釘付けになってしまう。黒木華しか放てないようなオーラや存在感が存分に表れていた。
「印象的だったのは、オフィーリアを演じていた黒木華さんである。最初は純情な娘であったのに、後半にかけて父を失った悲しみから心を病んでしまい、悲しげに歌い始めたり、激しい狂気を見せたりしていた。彼女が周りの者に押さえられた場面の演技には、強く引き込まれるものがあった。」
「松雪泰子が演じたガートルードの存在感も見事だった。声の発し方、仕草すべてに気品があり、その姿は王妃そのものだった。」
「リチャード三世」 劇団カクシンハン
「カクシンハンの最大の魅力は、シェイクスピアを知らない人、史劇に対して苦手意識を持っている人でも楽しめるようにと、とことん気楽にいっしょに笑っていっしょに悲しむため、役者と観客の「一体感」を醸し出すよう工夫されている点だ。まず役者全員が華やかな衣装を纏っているわけではない。驚いたことに全員私服や稽古着のようなジャージを履いている。(…中略…)役者が何人も舞台から降りてきて観客に話しかけたり、盛り上がった時には観客とハイタッチをし合ったり、マイク・パーフォーマンスやドラムの生演奏を使って観客全員を巻き込んだり、シリアスなだけでなく、エンターテインメントの要素や楽しいライブ感を組みこむ事で、観る者の笑顔と高揚感を見事に引き出していた。」
「リチャード三世を演じた河内大和さんは、異様なまでの存在感を放っていた。スキンヘッドに襟足だけを長く伸ばした個性的なルックスで、眉が薄く、瞼が一重の強面にニヒルな微笑みが印象的である。リチャード三世の役柄は生まれながらに醜い容姿を持ち、周囲からの愛を受けられない男だが、巧みな話術と甘い言葉で、敵をも手の内に取り組む才能を持っている。そしてその才能を武器に邪魔者を次々と切り捨てる事で王に昇りつめる展開になっている。そんなリチャード三世の頭の良い腹黒さや野心を見事に表現しながら、時には個性的ルックスを“いじられる”アドリブもあり、そのキャラとのギャップが主に女性客にウケていた。」
「劇中、幾度となく迫力あるドラムが披露された。シーンの間に迫力あるドラムの音色が響き渡ることで、緊張感は強まり、この後どうなるのだろうと、とてもワクワクさせられた。シェイクスピアの作品をこれほどまでに面白く、そしてシリアスな場面、重要なところはしっかりと締めるような高低差が激しく表現した例を今まで見たことがなかったので、演劇の面白さというものを改めて実感した。」
「リチャード三世が今まで殺してきた同胞や部下たちの怨念によって斬りつけられ、もがき苦しむ場面—―皆が奇妙なリズムでリチャード三世を斬りつけていくのだが、演じる河内大和さんの苦しむ表情や体の表現が素晴らしく、夢にも出てきそうな恐ろしい光景だった。殺された人たちの独特な足のリズムも、リチャード三世の脈拍の増加を表わすように、少しずつ速くなっていく感じがして、とても緊迫感があってとても印象に残っている。」
「最も印象に残ったのは、真似美さんの演技だ。初めて見た時、真似美さんの立ち姿がとても堂々としていて、声も大きく透き通っていて素直に素晴らしいと感じた。彼女の声は本当に聞きやすくて、声も役者にとって重要な要素の一つだということを実感した。」
ヴェニスの商人 演劇集団円
「私が注目したのは照明である。光の柄をうまくモヤっとさせ、その光の加減によって場面の雰囲気がうまく作り出されていた。また、色の暖かさで夜の月の光と夜明けの日の光がはっきりと区別されていた。照明一つをとっても、様々な工夫次第で表現の幅が広がり、非常に大事な役割を担っていると改めて感じた。」
「演技面では金貸しの悪役、シャイロック(金田明夫)の演技が素晴らしかった。序盤では強欲で金にしか目がない元気な老人だが、最終的には財産をすべて奪われ、キリスト教徒に改宗させられて力尽きる。この二つの演じ分けが見事だった。前者では軽く腰を曲げて早口でまくし立てるように喋り、後者では負けて顔中にしわを集めて泣いていた。」
「物語の中でシャイロックに対して同情を持った人は多いだろうと思う。それは物語の内容によるところも大きいかもしれないが、もう一つの要因としてシャイロック役の金田明夫さんの演技力によるものも大きいと思う。有名な人なのでどんな演技をするのか楽しみにしていたのだが、やはりすごかった。1つ1つのセリフや動作に感情が込められていて、シャイロックの怒りや悲しみが強く伝わってきた。まるで自分がその場にいてその場面の状況を経験しているかのようだった。」
「シャイロックが罰を受ける最後の場面では、床が外れて水が出てきて驚いた。何度も水に顔を打ち付けられ、びしょ濡れになりながら演じる金田明夫さんの姿は、まさに迫真の名演という言葉がふさわしい。」
「裁判の後、シャイロックが罰を受けて改宗させられる場面のセットがすごかった。舞台の床の一部が開き、そこに水が溜まっていた。実際に顔を水に打ち付けられ、顔を上げる勢いで周りの床や服まで濡れるため、とてもリアルだった。痛々しいシーンではあったが、アントーニオの勝利を祈っていた私は、どこか心がスッキリしていた。」
「一見すると、この物語はハッピーエンドとなるが、果たしてそうなのだろうか。シャイロックが復讐した理由は商売の邪魔を含め、日常の彼に対する侮辱的な扱い――つまりユダヤ教徒に対する迫害もあったのではないだろうか。アントーニオに復讐することに執着したとはいえ、貸した金も返さず、財産を没収し、彼のアイデンティティであるユダヤ教まで捨てさせる。これはキリスト教徒の傲慢なのではとも思った。キリスト教が悪と言っているのではない。しかし法であっても、それを強制するのは個人の自由の侵害ではないだろうか。宗教で差別せず、その人個人について議論されるべきだ。」
闇にさらわれて 劇団民藝
「『闇にさらわれて』は弱き者たちの強大な権力に対しての戦いを描いたものである。演技のアンサンブルは見応えがあり、特にハンス役の神敏将や母親のイルムガルト役の日色ともえは素晴らしい演技を見せている。」
「「息子さえいれば、それでいいの」と嘆き悲しむシーン。イルムガルト役の日色ともゑさんの演技が、演技とは思えないほどの熱量で臨場感たっぷりに演じられていて、息子のことを思う母親の心情がとてもよく伝わってきた。」
「「自分のために生きて」――これはイルムガルトが息子のハンスに対してかけた台詞だが、母親の子を思う気持ちが存分に込められた言葉である。イルムガルト役の日色ともゑさんは声の大きさや表情を巧みに変化させ、母親の喜怒哀楽の様々な有り様をうまく表現していた。」
「ハンスがヒトラーを尋問するシーンでは、ハンス役の神敏将さんの力強く熱のこもった演技が光っていました。本当にヒトラーを追い詰めるように尋問する演技力にも驚かされましたが、何より、あのヒトラーを3時間にもわたって尋問した人物がいたという事実に驚きました。」
「そこには一人の母親がいた。ハンスを、息子を、ユダヤ人弁護士を、英雄を、ナチスから何としてでも助け出そうとしている一人の女性がいた。信念があり、強い心があり、諦めなどなかった。しかし誰も救われなかった。ハンスは帰らなかった。そして全ては闇であったと教えられる。」
「最後に母親が放った台詞、「まだ物語は終わっていない」という言葉に士気を感じた。我々は宣言された。この物語は悲しかった、酷かったという「感想」で終わらせてしまうことができないものなのだと。だから私はこの母親の言霊と強さを心に留め、劇場をあとにした。そこには私自身に対する変革の勇気が芽生えていた。踏み出す一歩がとても重く、がっしりしていた。」
「私が鑑賞していて一番心を動かされたのは、ハンスが収容所の中で自由の歌を歌うシーンである。もう身も心もボロボロで、いつ殺されてもおかしくない状況にあるはずなのに、それでも自由を求めて歌い続ける。そんなハンスの真っすぐで自由になるのを諦めない心、力強い意志に本当に感動した。」
「この作品は我々若い世代こそ鑑賞すべき作品だと思うが、私の観た回では、客席のほとんどがお年を召した方々であった。演劇で何かを伝えようとしたとき、全世代に受け入れられる工夫を取り入れることが必要なのではないかと感じた。」
インコグニート 劇団俳優座
「4人しか俳優がいないことに初めは驚いたが、4人とも年代や人格に合わせて表情が瞬時に変わるのが圧巻だった。場面を切り替える際も、暗転することが少なかったが、その中ではっきりとステージ上の雰囲気が変わるのを感じた。特に志村史人氏の演技は素晴らしく、厳格な病理医師から知的障害者に役を切り替える時など、表情や振る舞いだけでなく、彼自身からプライドや自信が消え去り、代わりに純朴な好奇心だけが醸し出されているように感じた。」
「テーマは記憶とアイデンティティである。臨床心理士のマーサの「記憶がなくなったら、私たちは何者でもなくなり、その裏を返せば何者にもなることができる。」という言葉が心に残った。記憶と経験からアイデンティティが形成され、自分が何者か識別できると思うから、記憶が無くなってしまったら、自分が何者でもなくなってしまうことを気づかされた。しかし、マーサの言葉の「何者にもなれる」というのは、それをポジティブに捉えていたセリフなので好きだった。」
「私は今大学の演劇部に所属しており、舞台で一番好きな仕事が照明だ。今回の公演では、音響・照明がもたらした効果が素晴らしかったと思う。特に好きな場面は「リチャードの殺人」の場面である。あの場面での音響の重低音、照明時で使用されたゼラ(カラーフィルター)と徐々にピンスポットに絞っていくところは、鳥肌が立たずにはいられないと思えるほど好きな場面だった。」
「安藤みどりさんの演技に感動した。マーサという一人の女性の演技の中でも母親としての演技、恋人のパトリックに対してうまく感情を出せない演技、患者に対して苦悩する演技など、すべての演技のクオリティが高かった。トーマスの妻エロイースのヒステリックな演技も面白かった。」
「多い人で一人六役も演じていたが、声のトーンだけでなく表情や仕草など、一人一人の役に特徴を生み出して丁寧に演じ分けていた。特に安藤みどりさんの演じ分け方が素晴らしく、アメリカの場面でのエロイース・ハーヴェイ役では喧嘩のシーンもあり、迫力があってハキハキとした演技だった。「幸運は備えある者をひいきする。」「想像力は知識より重要だ。想像力は知識を包み込む。」といったセリフが印象に残った。」
あの出来事 新国立劇場
「最初に驚かされたのは、物語の登場人物のほぼすべてをたった二人の俳優が演じていたことだ。より正確に言うと主人公クレアが率いる合唱団のちょっとしたセリフを除けば、実際に演じているのは本当に二人だけだったのだ。その他は合唱団の一員として、合唱による情景描写の役割を担っていた。これまでに見たことのない特殊な上演形式であったが、とても魅了されてしまった。」
「自分が見たいと思っていた南果歩の演技はものすごく、クレアが苦しみ発狂しているシーンが忘れられない。期待していなかったが、小久保寿人には本当に驚かされた。一人で何役も演じていて、精神科医やアボリジニの少年、銃乱射事件を起こした少年など、多彩に演じていた。目が離せず、演技力の高さを感じさせられた。」
「面白いと思った点は、合唱団があらゆる場面で歌っていたことである。例えばクレアとパートナーのカトリオーナの喧嘩のシーンでは、暗くて重いイメージを与える低い音程で歌い、口論が激しくなるに連れてその音も大きく、激しさを出していたため、演技と相まって、より一層の緊迫感のある情景を創り出せていた。」
「合唱団は、若い人たちからお年寄りの人、外国の人と、幅広い層の人たちが集まり歌っているところが良かったです。いつもの観劇とはまた違った雰囲気でした。合唱団から投げかけられる、さりげない質問にクレアや他の登場人物が答えるというセリフのキャッチボールもとても良かったです。」
「他人の金」 劇団昴
「ローレンス・ガーフィンクルを演じている遠藤純一さんの演技がナチュラルで引き込まれた。少し嫌味っぽかったり、笑顔の裏に何か隠れていそうだったり、意志の強さが言葉の節々に隠れていたりした。コメディアンのようなノリもあって、観ていて楽しい演技だった。」
「印象に残ったのは、遠藤純一演じる乗っ取り屋ガーフィンクルだ。この作品では一応、悪役的立ち位置にいる彼だが、一番魅力的であるように私は感じた。意地の悪い面もあれば、ユーモアあふれるシーンもあり、自分のビジネスのやり方がなぜ世間に認められないのかと嘆いたりするなど、人間としての様々な感情が垣間見え、他のキャラクターより一段と魅力的に見えた。」
「特筆すべきは遠藤純一氏の見事な演技である。嫉妬深く悪賢いローレンス・ガーフィンクルを演じるなら、この人以外は考えられないと思わせるほど、彼はこの役を興味深いものにしていた。」
「ジョーゲンソン役の金子由之さんの演技が素晴らしかった。最初は頑固おやじの感がひしひしと醸し出されていたが、次第に会社が買収されそうになり、状況が悪化していくにつれて、悲壮感漂う演技は、見ていて素晴らしいものがあった。」
「私が一番好きなのは、米倉紀之子さんが演じるケート・サリバンである。言葉一つ一つへの力の入れ方だったり、台詞のない時の表情だったり、歩き方だったり、足の組み方だったり、多くの演技に見入ってしまった。」
「ケート・サリバンを演じる米倉紀之子さんの演技が圧巻でした。ケートは自分を強く持っていて、母親にも刃向かえる立派な女性で、それを演じる表現力が素晴らしく、見応えがありました。」
「ビル・コールを演じる石田博英さんの時々入るナレーターとしての語りの聞き心地がとても良かったです。滑舌はもちろん、声の奥深さが素晴らしいと感じました。」
「株主総会の場面では、先に会長のジョー・ゲンソンが演説をするのだが、最前列だったということもあり、役者の顔の震えなども見ている中で、演説が終了した時に、自然と拍手をしてしまいそうになった。」
「株主総会のシーンでは、机が私たち観客側に正面に置かれ、役者さんたちがまるで私たちに直接話しかけるように話した。そこではジョーゲンソンの「金より大事なものがある」という意見とガーフィンクルの「金は絶対」という意見が述べられる。この場面では、私も株主総会に呼ばれた株主になっていた。でも私なら、あの二人のどちらかを選べと言われても選べず、きっと「棄権」してしまっただろう。」
「ラストシーンの株主総会で「汗を流して得る金にこそ、価値があるのです」と訴えるジョーゲンソンの演説の場面が印象的だった。現実を生きるということの意味を考えさせられる濃密な人間ドラマだった。」
「小劇場ならではの良さが存分にあり、やはり劇団昴さんは、魅力的だと思った。」
「ガラスの動物園」 文学座
「今回の観劇で注目したのは、母親役の塩田朋子さんの演技でした。アマンダは、どの家のお母さんにもあるように(自分の母親にも似た部分がある)、自分の子供を守りたいという気持ちが空回りしていて、ローラにもトムにもかなりのプレッシャーになっているように感じました。そう感じることができたのは、彼女の演技がとてもリアルで迫力があったからだと思い、演技にとても感動してしまいました。」
「主人公の母親役の女優さん(塩田朋子)がすごかった。テンポは速く、難しい言い回しがずっと続いていく。それに加えて感情の起伏がとても激しいのだ。笑ったり泣いたり怒ったり、しかも更年期、さらに夫に捨てられた妻の不安定さがとてもよく表れていた。」
「アマンダ(塩田朋子)と息子トムのやり取りのマシンガントークは印象に残る。特にトム(亀田佳明)がアマンダに対してぶつける苛立ちの高まりには圧倒された。そしてアマンダの家族を支えようとしている母親の苛立ちや、彼女の周囲の状況をしっかりと理解しきれていない様子もよく伝わってきた。」
「トム役を演じた亀田佳明さんの演技は圧巻だった。喜び、悲しみ、怒り、他にも喜劇的要素が含まれていたシーンではポップに演じていて、本当にすごかった。ローラ役を演じる永宝千晶さんの演技も魅力的で、劇終盤でジムと出会い、だんだんと彼に心を開いていく様子が巧みに表現されていて素敵だった。」
「舞台の色使いに心を奪われました。照明、ろうそくの光、月明かりなどが様々に変化していく様子がとても美しく、舞台から目を離せませんでした。」
ドライビング・ミス・デイジー ホリプロ
「85歳という高齢でありながら見事に演技をこなす草笛光子さんの演技はとても素晴らしいものでした。しっかりしすぎたことが問題である老ミス・デイジーを演じつつ、終盤は認知症になってしまった姿までも演じ分けるのは、さすが一流の女優さんだと思いました。市村正親さんも、登場のたびに客席を笑わせるユーモラスな演技を披露しつつ、シリアスな場面ではそれまでのキャラクターをうまく活かした芝居を見せてくれて、大変素晴らしかったです。現在、僕は演劇サークルで夏公演を終えたばかりですが、いずれは演出もしてみたいと考えています。その上でこの舞台は、役者の演じ分けや舞台上でのきっかけ、視線の飛ばし方など、参考になる点が多々ありました。一方で黒人差別など、現在にも通じる問題にも触れており、学ぶことの多い作品でした。」
「考えさせられたセリフがあった。「黒人はガソリン・スタンドのトイレは使えない。この歳になって、トイレに行ってもいいのか、お伺いを立てなければいけない気持ちがあなたにはわかりますか?」というものだ。アメリカの差別の実態と本質を顕著に示したこのセリフは、ぜひ記憶に留めておきたい。映画レポートの方を作成するにあたり、映画『グリーンブック』を鑑賞したのだが、白人と黒人の立場は逆(『グリーンブック』で運転手を雇うのは才能ある黒人のピアニスト)だが、共に黒人差別を見事に描いた作品だと感じた。」
人形の家Part2 パルコ
「何よりもセットがとても簡素だった。ステージに置かれている物は4つの椅子。さらに登場人物も4人だけで、人間関係は明確である。しかも物語は5つの話の構成になっており、各場面「ノラと乳母のアンネ・マリー」、「ノラと夫のトルヴァル」というように、二人芝居が連続したような斬新でスリリングな構成になっていた。あくまでもセリフ中心の劇だったが、緊迫感がひしひしと観ている側にもしっかりと伝わってきた舞台だった。」
「「ノラとエミー」の会話の中で、エミーの母親ノラに対する皮肉が面白かった。エミーを演じた那須凛さんの演技には、思わず身を乗り出して見入ってしまうほど魅了されてしまった。母親に対して何の感情も持っていないような顔で、淡々とした口調で話す演技は、そう簡単にできるものではない。」
「私が一番感動したのは那須凛さんの演技です。この人は何か他の人とは違う、そんな演技。私がそれを一番強く感じた場面は、15年間、家を出ていた母親のノラが突如帰ってきて、椅子や床に座りながら、二人で長々と話す場面です。元々、エミーは他の役より感情表現がむずかしい役どころだと思ったので、どんな演技を見せてくるだろうと期待して見ていました。すると舞台の空間をうまく使って椅子に座ったり、椅子から立ち上がったりと、セリフを言葉だけでなく、体全体で自然に表現している、そんな演技でした。履いていたロング・スカートも演技をより大きく魅力的にしていました。」
8月のオーセージ 劇団昴
「『8月のオーセージ』は単なる家族についての劇ではない。本質的には私たちを描いた作品だ。人間の愚かさを描いた作品である。演技のアンサンブルは見応えがあり、特にヴァイオレット役の一柳みるやバーバラ役の高山佳音里は素晴らしい演技を見せている。坂井亜由美はバーバラの娘役を見事に演じていた。笑えてウィットのある会話があり、素晴らしい舞台だ。」
「この作品で見て一番印象に残ったのは、喧嘩のシーンのリアルさだ。母と娘であるヴァイオレットとバーバラの間で、三姉妹の間で、その他バーバラとビル、そしてマッディ・フェイとチャーリーの間、というようにほとんどの登場人物が一度は言い争いをしていたが、そのリアリティはすごかった。まるで自分の両親が喧嘩をしているテーブルに居合わせてしまったような、仲の良い友人同士の喧嘩に巻き込まれてしまったような、そんな息の詰まる雰囲気がとても現実的に描かれていた。」
「語らないわけにはいかないのが、ヴァイオレット役(一柳みる)の演技だろう。最初から最後まで、この人がいなかったら成り立たないのでは、というくらい圧巻の存在感と演技だった。ヴァイオレットは口腔がんを患っており、さらに薬物中毒という難しい役で、薬物中毒の状態と平常時でキャラクターが全く違うのだが、その演じ分けも見事にこなしており、一瞬、違う女優さんが演じているのではないかと思うほど、幅の広い演技力がある女優さんだと思った。」
「一柳みるさんは、自分が前期に鑑賞した舞台『他人の金』にもビー・サリバン役として出演していたので、その演技にとても期待していたが、その予想をはるかに上回る演技を披露してくれた。薬物中毒に陥っている姿や、家族の前で堂々と威厳を保つ、少し嫌気がさす姿、最後に家族みんなに見捨てられて孤独を味わう姿など、様々なシチュエーションに合わせた演技は、観ていて何の違和感も感じさせることなく、人間の汚い部分をうまく引き出せていたと思う。ラストシーンの「ジョナ…あなたは私と一緒にいてくれるかい?」というセリフは物語の結末をうまくまとめた言葉として、重く響いていた。」
「長女バーバラと母親ヴァイオレットの応酬が本作の根幹にあるといっていい。バーバラは真面目で、やや独善的であるゆえに、周りと上手くいかず、その性格を責められがちである。確かに彼女の口調は激しいし、返事を聞かずに一方的にまくしたてる節があるが、彼女の言っていることは大体において真っ当である。娘がドラッグにはまり、妹の婚約者に手を出されかけたりとか、夫が不倫をしていたりとか、彼女の周りで起きることは怒らない方がおかしいことばかりである。むしろ個人的には、毒親の下で育った彼女がやっとの思いで作った新しい家族にも裏切られて孤立していく姿が不憫に思えてしまった。」
「リトル・チャールズがおもちゃのピアノで演奏するシーンは、口論や非難が続く他のシーンとの対比もあり、彼の優しさと暖かさがとてもダイレクトに伝わってきて、泣きそうになってしまった。」
「今回も出演されていた石田博英さんの声が相変わらずダンディで、惚れ惚れしてしまった。しかし声は同じでも、服装や髪形をはじめ、喋り方、身振り手振りの個性まで、前回の『他人の金』とはまったく違う俳優さんのようだった。これは彼に限ったことでもなく、前回の劇に出演されていた皆さん全員に感じられることだった。」
「坂井亜由美さんの演技が、初舞台であることを感じさせない仕上がりとなっていて素晴らしいと思った。ルックスも良く、おそらく20代で若いため、今後は舞台のみならず、ドラマなどでの活躍を期待したいと思った。」
「今回の私の一押しの、ジーンを演じる坂井亜由美は今回初舞台ながら、天真爛漫で悩みの多い思春期の14歳の女の子をとてもうまく表現したと思う。大人として扱ってほしいがため、マリファナに手を出してしまう不良娘だが、素直で優しい子だと感じさせてくれた。」
「この物語は家族の話だが、一番重要な役は家政婦だと思う。彼女はインディアンで、この家族を静かに見守っている。家族の一員ではないという事実が、この家族が抱える闇の部分を引き立たせていると感じた。(…中略…) 散々ジョナを見下してきたヴァイオレットだったが、最後はジョナの膝に泣きつく。そんなヴァイオレットを優しく撫でながら、ジョナが「世界はこうして終わる」と歌い、物語は終わる。このラストシーンの構図が宗教画のようで、強く印象に残っている。」
「この劇は、人の汚れを描いていましたが、随所に笑うことができるユーモアがあります。そのユーモアのおかげで、3時間近い劇ですが、飽きることなく、観客を惹きこむ舞台となっていました。私の友人も「重い内容なのかと思ってたけど、ユーモラスな部分が多くとても驚いた」と話していました。こうした人間の汚さとユーモアに見える愚かさのバランスが劇作家トレイシー・レッツの魅力だと思いました。」
「久しぶりに小劇場で観劇したが、『8月のオーセージ』を観劇して改めて演劇の面白さを感じることができた。台本、役者、衣装や舞台美術、たくさんの要素が組み合わさり、それぞれのレベルが高ければ高いほど、劇全体のクオリティも高まっていく。今回の上演は全てのレベルがとても高く、3時間という上演時間の長さを感じさせないほどであった。機会があれば、ぜひまた劇団昴の舞台を観てみたい。」
IS HE DEAD?
〜画家ミレーの知られざる秘密!?〜 テアトル・エコー
「この劇は最初から最後まで、ずっと笑いっぱなしで、顔やお腹の筋肉が痛く感じてしまうほどでした。ただこの話は、単に面白おかしいだけではありません。根底には、ミレーや仲間たちが逆境を乗り越えようとする気概が感じられました。なので観ていて笑えるだけでなく、こちらが元気をもらえる素敵な作品であり、それをとてもうまく表現している役者さんたちの演技が素晴らしいものだと思いました。」
「最も驚いたのが、IKKAN演じる主人公のミレーと、彼が女装した姿であるデイジーの演技の切り替えだった。ミレーを演じる時は低い声で話し、つま先を外に向けて大股に歩いていた。動作もゆったりとしていて、どこか重みがあった。それに対してデイジーの声が上ずり、手振りは大げさで、スカートがきれいに揺れるように腰を動かして歩く様子は、もはや女性より女性らしかった。恋人のマリーに「あなたって少し変だけど、とても素敵な人だわ」と信頼されるのも納得がいく。しかしながら、どこかぎこちなさを残しており、「男性が女装している」様子が顕著に表れていて、見ていてとても楽しかった。」
「アンドレはこの作品の中で唯一の悪役だったのですが、演劇であることを忘れて腹を立ててしまうぐらい演技が凄かったです。安原義人さんは劇中にアドリブを言って場を和ませることもあり、緻密な劇の中でアドリブを入れられるというのはプロならではのものでした。さらに、劇の前半では悪役であったアンドレが、後半では笑いと取る役柄で一番笑いを取っていて、演技の幅の広さを感じました。」
「アポロンは当初、印象が薄いキャラクターだったが、いつの間にか物語を引っ張っていく主役級の存在になっていて、私はアポロンを通して、このIS HE DEADを観たという心地になった。また、アポロンを演じた松澤太陽さんの声が印象に残っている。まっすぐな迷いなく、よく響く声でこの役にぴったりだと感じた。」
「演技のアンサンブルは見ごたえがあり、特にアポロン役の松澤太陽さんやハンス役の加藤拓二さんは素晴らしい演技でした。」
「この公演ではセットがとてもリアルで、壁や扉などが精巧に作られていた。休憩をはさんで、大きな場面が二つという構成だったが、初めのミレーの自宅兼アトリエとデイジーの豪邸では違いを強調するように照明を変えたり、豪華な柱や豪邸らしい壁の作りが凝っていて感心した。美術担当の方の技巧がすごいと思った。」
「主人公ミレー役のIKKANさん。まず、画家ミレーとその妹ということにしたデイジーという、まったく異なる二つの演技をうまく見せるところに純粋に感銘を受けた。クールな中に、絵に対する熱い情熱を持っていて、仲間や弟子思いなミレーを演じている時はとてもかっこよく男らしい。しかし女装しているデイジーを演じている時は、どこか間抜けな感じが伝わってきて、いかにも喜劇的な演技に変化しており、そのギャップを見て、とても笑わされた。」
「自分が特に気に入った役者さんは、オショーネシー役の田中英樹さんです。画家仲間であるミレーを助け、みんなを盛り上げてくれる役でした。少し出ているお腹に真ん丸笑顔は最高でした。」
月の獣 テレビ朝日ほか
「トルコ人によって大量虐殺されたアルメニア人。新たな夫婦として生きていくためには、家族の悲惨な過去を語れない、そして過去に囚われたままでは今を生きられない――そんな二人の苦しみ、葛藤が顕著に表れていました。」
「特に岸井ゆきのさんの演技は、15歳の子供から20歳を超えて大人になる女性の変化を適格に捉えていたと思う。思い出したくないほどの辛い過去を抱え、アラムの妻として向き合わねばならなかった10代、不妊症に悩み、過去を語ろうとしない夫と互いに分かり合えなかった20代、孤児のヴィンセントに出会ってからの新たな人生―それぞれの時代でセタの姿はかなり変わったが、どの時代の演技もしっくりくるようなものだった。」
「セタ(岸井ゆきの)がアラムのもとに嫁いできた時は、戦争の恐怖から解放されたばかりの純粋無垢な少女といった風であったのに、劇が進むにつれてアラムと衝突し、精神的に疲弊していく様がとても印象に残った。序盤では嬉しそうな声色であったのに、だんだんと明るさを取り繕っているような様子に変化していき、最終的には立派な大人の女性として自信と意志の強い声色に変わる。こうした変化によって、セタが成長していく様子がよく伝わってきた。」
「「私も人間なの。嬉しいこともあるし、怒ることもある。落ち込むことだってある。一人の人間なの。」と言ったセタのセリフから、自分は他の人とは絶対に違うし、その人のありのままを受け入れて愛することが大切なんだと思った。」
「セタは過去にとらわれないで前を向き、アラムのことも悲しみから救い出していて、芯の強い大人の女性に成長していた。私もそうなりたいと憧れるヒロインだった。」
「語り部だった老紳士が、実は孤児院から逃げ出した少年の老いた姿だったのが衝撃的だった。少年時代のヴィンセントを演じていた升水柚希は、初舞台とは思えないほど堂々としていて、少年特有の生意気な感じをうまく表現していた。
「照明に関しては、単に良いと思っただけでなく、感動させられた。夫婦で対立した後、二人で向き合うシーンで、二人の影がくっきりと壁に映るという場面があった。副産物である影が、本体よりも深い意味を持ち、特別な印象を与えることに感心した。劇の最後で、ヴィンセント少年を自分の家の子として受け入れて、三人家族として歩み始め、その記念として写真を撮るシーンがある。そこではカメラのフラッシュがまぶしく光るのだが、その瞬間、舞台上の3人が白黒写真に映っているように見えた。3人の和やかな表情が目に焼き付いている。」
「私が劇中で心に残っているシーンは、アラムがセラに心を開き始め、写真について語り始めるシーンだ。彼は残酷な過去を自身で写真という形で残しており、それを糧に前へ進もうと苦闘する姿に非情に心を奪われた。アラムの「殺された家族の写真を現像液に入れた時、彼らが生き返ったような気がした」という言葉に、彼のそれまでの苦労と孤独が滲んでいた。」
「かなり重い内容の劇だが、ところどころにクスっと笑える場面もあり、後半にはとても感動的な場面もあり、観客席では泣く声も聞こえてきた。このような残虐な歴史について、これまであまり深く考える機会がなかったが、この劇を見て、こうした歴史は決して目を背けてはならない事実であると教えられた。大切なことを学べだ貴重な機会だったと思う。」
- -
- -
- -